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時には「ありがとう」でも棘になる 

 こんな内容の言葉を聞きました。

 「叱った相手に『ありがとう』と言われたので、
 何故お礼を言うのかと思った。

 お礼を言うくらい気を使うなら怒る方の気持ちを考えてほしい。

 お礼を言うくらいなら最初から叱られるようなことをしなければいいのに。」



 最近読んだ斎藤一人さんの本もますい志保さんの本も、
 「叱られたら『ありがとう』という気持ちを」「上司は失敗しても『いいんだよ』と見守る」という言葉をみかけた直後だったので、
 ややあっけにとられてしまった。

 「ありがとう」という言葉は数ある言葉の中でも、
 相手に不快感にならないような不思議な言葉だということもよく見かけるから、
 驚いた。

 相手にありがとうといわれると、
 イライラしていた気持ちもおさまったり自分を顧みたりできる不思議な言葉だと思っていたもの。

 それが、
 「ありがとう」と言われると不快になる人もいるのだと、
 知ってびっくり。



 やっぱり受け取り方はその人次第が大きい。



 私はこれを聞いた時、
 ありがとうと言った人はきっと気を使っていったのではなく、
 「教えてくださってありがとう」という感謝の気持ちだったんだと思ったし、
 今まで自分もミスしてしまってもそうやって感謝の言葉を言えたらいいなと思っていただけにインパクトがあったんだ。

 人によってはそう思わない人もいる、
 どんな言葉を用いても絶対に賛否両論になってしまう、
 そのことを改めて痛感させられたような出来事だった。



 自分では悪気もなくただ感謝を伝えただけでも、
 真逆の結果として伝わってしまうこともあるのだからこそ、
 他人の顔色を見て言葉を選ぶことは『ナンセンス』だと思った。

 どんなに必死になって説明したって、
 受け取り方の違う人には自分が思ったようには決して伝わらない場合もある。

 それはアスペルガーの人たちや人格障害の人たちとやりとりをしてもよくわかる。



 こんな認識のズレがあると、
 「うまく伝わらなかったのは自分の表現力が足りないからだ」と思って、
 相手の言い方に言いなおして伝えようとしても決して伝わることはない。

 自分の言葉で伝わらないなら、
 他人の言葉ではなおさら自分の気持ちは伝えられない。

 最初から感性の全く異なる相手なのかもしれないから。



 他人の反応や評価に寄りかかるのは意味がないことなんだと改めて思った。



 私がミスをしてしまうことがあったとしても、
 やっぱり言いたいと思う。

 「教えてくれてありがとう。」という気持ち。

 気を使ってそんなことは言いたくないから言うつもりもないけど、
 もし相手が「気を使って言ってる」と思っても、
 自分は悪気があって言ってるわけじゃないなら、
 それはそれで構わない。



 たとえ相手が伝えたい気持ちと違うように受け止めたとしても、
 自分の気持ちは自分だけのものだもの。

 大事なのは相手の受け止め方ではなく、
 自分の中の正直なものだと思うから。

 それでいいんだと思う出来事だった。

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