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筆談は時に会話を超える、声の会話だけがコミョニケーションではない 

 ドラマ「筆談ホステス」を見た。

 筆談ホステスの斎藤里恵さんの実話からつくられたドラマ。

 東北の耳の聞こえない人が銀座のホステスで1番になるまでの物語。



 主人公の里恵さんという人は、
 耳が不自由だったものの周りの理解を得られたことから異色ともいえる「筆談」のホステスさんになった。

 ドラマの途中途中、
 ご本人が書いた直筆の言葉が出てくる。

 この言葉ひとつひとつに、
 あたりまえなのに見過ごされているような言葉が大切にしたためられていた。

 ひとつの文章は短いものだけど、
 その短い言葉の中に心の声がそっと聞こえてくる。

 「チャンスは貯蓄出来ない。
 努力するかあきらめるしかないよ。」

 「隣に誰かがいるだけで、
 憂いは優しさに変わります。」



 里恵さんという人は、
 耳が聞こえないから、
 誰とでも常に筆談でやりとりをしている。

 筆談だから、
 声の会話のような長い文章はなかなかみあたらないのかもしれないけど、
 短い文なのにちゃんと想いは相手に伝わっている。 



 このドラマの後半、
 筆談は会話を超えることがあるというセリフが出てくる。

 この言葉を聞いたとき、
 ある昔のことを思い出した。



 以前私も、
 ネットという場所で毎日メールやチャットをしていた。

 相手にはなかなか伝えたいことが伝わらず、
 いつも歯がゆい思いをしたり、
 自分の表現力がおかしいのかと自分を疑ってみたりした。

 相手から「あなたの理解力がおかしい」と非難され続けたことも加わって、
 自分に対して疑心暗鬼の日々だった。



 後になってその人とよく似た感じを受ける人とチャットをする機会があり、
 その人に、
 「チャットやメールでのやりとりは会話じゃない。
 口で話した言葉だけが会話なんだ。」というようなことをいわれた。

 文では絶対に伝わらないからチャットは意味がないと、
 その人は頑なにチャットの中で主張をしていた印象が今でも強く残っている。

 声による会話でなければ会話とは言えないと思っている人だったらしい。



 「文でも伝わることは伝わるし、
 声に出しても伝わらない時は伝わらない。

 声に出して言えない言葉も文ならだせるし、
 文に出して表現できないことは口に出したら伝わることだってある。

 どちらにも一長一短があるけれど、
 相手に伝えたいという気持ちがあるなら、
 相手を理解したいという気持ちがあるなら、
 どちらでも伝わるんじゃないか。」
 と私は思っていた。



 だけどあまりにもしつこく「あなたが変だ」と言わんばかりの相手とのやりとりで、
 口にださなきゃ本当のところはつたわらないというほうが正しいのだろうか?と悩んだこともあった。

 だけどその時、
 文では会話にならないと思うなら、
 なぜその人はネットでチャットをするのだろう、
 なぜチャットで声をかけてくるのだろうと疑問に思ったことがあった。



 筆談ホステスというドラマを見ていてこの時のことを思い出した。

 世の中には「口に出して意思を伝える」という手段を使わない人やその手段を持たない人がいる。

 そう見落としていた自分がいたことに気づいたとき、
 それと同時に、
 「口に出すことだけが会話だ。」というのはとても傲慢で偏った考えだという気がした。

 「口にだしていうことだけが会話だ。」というのは、
 健常者の「当たり前」という価値観の中だけの意見で、
 ハンディを持った人への配慮を持たない視野の狭い暴力的な意見のように思えた。

 会話の仕方は一つだけじゃない。

 声に出すだけが会話ではない。



 里恵さんのつむぐ言葉ひとつひとつは短くても、
 ちゃんと伝わってくるものがある。

 長くだらだらと書けば伝わるものでもないし、
 しゃべれば伝わるものでもない。

 時に、
 核心を突くストレートな文という言葉は、
 遠まわしにあやふやになってしまう声の言葉をはるかにしのぐこともある。



 現実として、
 筆談だけで会話をしている人たちがいる。

 ちゃんと会話がなりたってる。

 最近は別れもメールですます人も多いともいうけど、
 声に出した言葉も、
 文にした言葉も、
 そこにその人の「心や気持ち」が含まれなければ相手にはきっと伝わらない。

 「自分を理解して自分が一番」という自分ばかりの言葉は、
 どんな方法を用いてもきっと相手の心には伝わらない。

 結局、
 自分の誠心誠意の気持ちを「どういう言葉」に表すか、
 それもその人の魅力であり、
 個性のひとつだもの。

 チャットでも掲示板でもメールでも手紙でも口を伝う言葉でも、
 その人次第なんだと思った。

 そしてそれは同時に受け止める相手次第でもあるということ。

 相手に伝える選択肢は多ければ多いほどきっと楽しい。

 直筆の文字に気持ちをこめるもよし、
 顔文字に気持ちを込めるもよし、
 お互いが理解しあいたいと思えるなら、
 伝えたい気持ちはきっと伝えられるって、
 里恵さんというホステスさんを見ていて思った。



 自分でも口で話す言葉が一番わかりやすいし伝えやすいかもしれないって、
 なんとなく思っていた自分がいた。

 どう伝えても理解の仕方は結局相手次第の部分もある。

 考え方が全く違えば、
 伝わっても理解されることはないかもしれないけれど、
 それならそれも仕方ない。



 「会話=声」に頼り過ぎていたかもしれないなんて、
 そんな自分のコミュニケーション力を見直す良いきっかけになった。

 口でいわなきゃ伝わらないとしたら、
 自分のコミュニケーション能力がきっと足りてなかったんだと思った。



 文章は会話を超えることだって出来る。

 自分の中で
 「口にださなきゃ伝わらない」って勝手に境界線をひいてしまうから、
 伝わりにくくなるのかもしれない。



 本音って、
 短い言葉にポロッとでてくるものだもの。

 だからかならずしも声の言葉である必要もない、
 そう思った。

 文には文の、
 声には声の、
 それぞれにあった良い部分があるのだから。

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