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人は図星指されても受け入れられるなら・・・気にならない 

 図星さされるとむっとすることはよくある。

 本人が正面から向き合えずに避けてしまいたいことを、
 まっすぐ直球で指摘されると、
 ムッとしてしまうことがある。

 そうでない場合でも、
 相手がただ「自分の思っただけの意見」を言ったつもりでも、
 相手が自分の悪口を言ってると受け取ってむっとしてしまう人も時折見られることもある。

 その光景ははたからみると逆切れに見えることすらあったり・・・。

 恥かしい気持ちの照れ隠しなのか、
 避けたい部分を見せられて退路を断たれた気分になっての逆切れなのか、
 いろいろあるとは思うものの、
 自分の弱い部分は、
 わかっていても受け止められないことが多い。



 時折、
 同じことを言ってる場合でも、
 自分の話しを「相手に聞きいれられる人」と「相手に聞き入れられない人」に出会う。

 表現方法が違う場合は表現方法を変えてみるというのもひとつの手だけれど、
 それだけでは解決しない場合もある。

 何が違うのか?と考えていると、
 ひとつのことに思い当たった。

 自分の話しを相手に聞き入れられる人は、
 必ず相手に信用されていると言えるということ。

 信頼・尊敬を持つ相手の話しなら、
 詐欺チックな話しですらも、
 受け入れられて信じてもらえることもある。

 図星さされてもむっとしてしまうのは、
 「お前に言われたくない」といった反発の気持ちがわく相手だから。

 反発のわく相手は、
 自分が心のどこかで認めていなかったり、
 軽蔑したり見下したりしている要素が存在する人ということにつながる。

 だから、
 「お前に・・・」「わかってるけどうるせー」などと言うことで、
 相手の話しを聞かなくていいように自分に言い聞かせているということになる。

 それは自己暗示をかけているにも等しい。

 「納得いかない部分があるから、
 受け入れられない人だから、
 その部分は認めたくないから、
 そいつの話しは聞きたくない。」っていってるようなものなんだね。



 教師がいっても聞かないけど、
 カウンセラーが言うと聞くとか、
 親がいっても聞かないけど、
 全くしらない赤の他人が掲示板でいってる言葉は聞くというのは、
 自分の中に何か「認める部分」と「認めていない・認められない部分」が発生しているからなのかもしれない。



 仲がいいと思っていた友達が図星して指摘してきたことを受け入れられないとしたら、
 その人を心の中で認めていない自分がいるということにもなる。

 「この人にはそう見えるんだな~。」と受け止められるなら、
 たとえ意見が違ってもいいのだとは思うけど・・・。



 人に何かいわれたことに対して反発心がでるのは、
 自分がその相手を受け入れられていない部分が表面にでてきてしまっているからなんだね。

 自分が信じて「この人なら」と思う人の言葉は、
 どんな言葉でもすんなり心に届きやすいものだから・・・。

 だから、
 宗教の主の言葉は、
 それを信じ切っている信者の心に届くのだと思う。

 それがたとえ「人を殺せ」というカルト集団の教祖の言葉だったとしても・・・。



 相手を信じられなければ、
 どんな人の言葉も、
 どんな真実も、
 自分の心には届かないのだから・・・。 

 まずは、
 自分が相手を信じられるよう努力しよう。

 自分が相手の信じられる部分を見つけよう。

 そのために、
 自分が信じられる相手を引き寄せよう。

 それは「自分自身を信じている人」にしかできないことだから、
 自分に自信をもって生きられる人でいよう!!



 自分への自信はむずかしいことではなく、
 簡単に身についていく。

 自分を否定する考え方をやめて、 
 他人に頼られることを期待するのをやめるだけ。

 誰かに必要とされるよりずっと前から、
 自分自身に必要とされているのだもの。



 そうしたら、
 明日を信じる気持がやってくる。

 それは未来の自分を信じる今の自分へとつながっていく。

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