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真の友達 

 今日の「曲げられない女」は、
 発達障害的な「空気読めない的なストレートな部分」が良い方向に生かされたようなストーリーになってた感じだった。

 「友達とは?」というテーマ。

 自分には友達は作れないのだろうか?という内心の不安から、
 「あなたは友達じゃない。」という言葉に対して、
 「私は友達だと思ってる!」というやりとり。

 本当の友達とはどんな存在だろうと考えさせられた。

 友達って、
 お互いが「友達」と認識してなくても成り立っていたり、
 お互いが「友達」と言っても友達になれない関係もある。

 言葉だけの「友達」は、
 単なる表面的な「友達ごっこ」なんだ。

 はっきり本音で言われても、
 「むかついた」とプライドを持ちだして憎しみを持つこともなく、
 また、
 誰にも言えないことでも不思議と言える、
 そんな不思議な関係が本当の友達なんだろうな~と思った。

 「自分が言ったからあなたも言って」と秘密の共有という50/50の間柄を期待してみたり、
 痛いところを指摘されていちいち反応して反発してみたりするのは、
 本当の友達じゃない。

 本当の友達になれて初めて、
 自分の言えないことも自然と言える信頼関係が築けるんだもの。



 発達障害の人は「はっきり物を言う」ところが嫌われたり、
 「空気読めない」といわれる一因なのだけれど、
 お世辞のように波風たてないために「思ってもみないこと」を平気で口にして、
 「仲良しのフリ」をするだましあいのような関係とどちらがいいかといったら、
 私はやっぱり、
 はっきり言ってしまって嫌われたとしても、
 自分にも相手にも嘘をつかない方がいい。

 友達ごっこはこりごりだから、
 目をそらしていたいことを指摘されて避けられるなら、
 それはそれだと思う。



 「自分を持つ」「自分の生き方を自分できめる」ということは、
 他人の考え方に流されて自分をうやむやにして生きる人よりも、
 敵か味方かどちらかはっきりした周囲になりやすい。

 「自分を持って生きる」ということは、
 「他人に何を言われても動じない」だけの孤独感が伴うということでもある。



 本当の友達は、
 相手がどんな状態になっても離れることはなく、
 そういう存在は一生かけても何十人とは見つからないもの。

 死ぬまでに数人みつかるかどうかな存在だといわれる。

 「友達多いの。」と常に人に囲まれている人がいても、
 その中で本当の友達と呼べる人が何人かと問いかけたら、
 数えられるほどいるという人どれほどいるのだろう・・・?

 楽しくしたいというだけでお手軽に「お友達」を増やすことは簡単だけど、
 それだけでは心を打ち明けられるような関係は手に入らない。



 手に入れることが容易ではないからこそ、
 真に価値があると言えるのかもしれない。 

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