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ネトゲ廃人 

 本屋さんにいったら、
 「ネトゲ廃人」という本をみつけた。

「私が眠るとみんな死んじゃう」
ネットゲーマーにしか通じない気持ちがある。「ゲーム依存症」という一言では括れない、独自の世界がある。しかしそれは、自らが「廃人」という言葉を使うようにリアル(現実)の世界を捨てる、生き方でもある。 (アマゾンの商品情報より抜粋)

ネトゲ廃人



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 表紙が赤くて、
 見た目にもショッキング。

 表紙に書かれた文章を読んで唖然。



 私も過去にネットゲームのつながりから当時の自分の価値観を壊し、
 今の自分になるきっかけだった。

 ネトゲで知り合った「仲良し」と「お友達ごっこ」の結果、
 今までの自分が崩壊した経緯があるから、
 この本を見た途端に興味が湧いた。



 ネトゲには依存症の人がたくさんいて、
 (ネットゲームの中では依存症ではなく廃人といわれることの方が多いが)
 本人は依存しているという自覚がないことも少なくない。

 そして、
 ネトゲをやめられない多くの人は、
 かなり人格にゆがみがある場合が多い。

 現実よりネットの疑似空間を重視して、
 その世界が彼らの「リアル」になっている。

 現実の不都合を逃避し続けているののだから。



 私が考え方のゆがみについて知りたいと思ったのも、
 自分なりにネトゲの光と闇を見たからこそ、
 「依存」の本質と原因を知りたいと思ったことからだった。



 この本を読みたいと思って図書館で予約したら、
 44人待ちだったwww

 関心のある人が多いんだね。



 過去にネトゲをしていた今の自分が思うことは、
 ネトゲを何年もし続けて、
 そのゲーム内の「友」というものとどんなに大事につきあっても、
 その関係を現実にもってきた時点でおかしくなることも多く、
 やっぱり現実の友達付き合いと同じにはなりにくいということ。

 ネット内でキャラを作ってるのに、
 現実でもそのキャラを演じることには限界があるからね。

 依存してしまう人は、
 理由はさまざまにしても、
 結果的に現実で本音を出せない・自分が出せないからネットのゲームという世界に逃げてる。

 ネットではリアルで言えない「本音」しかいってないようでも、
 ネトゲでのキャラの職業や役割がかぶるから、
 結局無意識にキャラを演じてしまうことになる。

 ネトゲのキャラは自分が普段できない願望が現れたりもするから、
 現実の自分とは離れてしまうものなんだと思う。

 そのまま現実でそのキャラを演じたら、
 また息がつまってしまう。


 だからネトゲで「リアルのつきあいにしたい」という人程、
 現実のつきあいにもっていっても、
 自分から現実の関係をぶち壊してしまう人でもある。

 ネトゲに逃げてる自分を理解してくれるに違いないって勝手に妄想するから、
 リアルにギャップがでて苦しくなるんだ。

 私自身、
 ネトゲで「仲良し」ごっこをしてた人に、
 再三再四、
 「リアルのつきあいをしたい。」といわれたことがあるが、
 現実になっても、
 ネトゲとリアルのギャップは無くならないし、
 リアルとネットの関係性は絶対にかみ合わないと思った。



 テレビで少し前に「ひきこもりオタク」の人の特集を見て以来、
 何本かYouTubeで動画をみたけど、
 ネットで知り合って仲が良いという知り合いとオフ会をしても、
 みんな目の前の相手とパソコンで会話してたのが印象的だ。

 ネットで生きてる人は、
 ネットの中でしか生きられなくなっている気がする。

 ネットゲームにどっぷりはまってる人は、
 その分の時間を現実で過ごせていないから、
 現実はうまくいかない。



 ネットは嘘と本性の両極端の世界。

 ネトゲは特にキャラになりきっての役割があるから、
 自分を必要とされたいという自己満足を満たしてくれる危険な世界。

 人格障害の気質がある人や、
 人格障害の人が引き寄せられ、
 現実を充実させられる人はあまりこない世界。

 考えにゆがみがあればあるほど、
 自分を必要としてくれるという甘い世界にひきずりこまれ、
 その現実逃避から逃げられなくなる。

 ゲームを通して、
 「自分を必要としてくれる人」を探して他人に依存したい人があつまる場所がネトゲというところなんだと思う。

 この本の通り、
 「私がいなきゃみんな死んじゃう」のだから。

 もう、
 ストレス発散の場とか娯楽の域を飛び越えてしまっている。

 実際に他人は、
 「私」というキャラが必要なんじゃなく、
 使い勝手のいい「回復や補助といったその役割をしてくれる「私」という道具」を必要としているだけという現実を理解しようとはしない。

 会社でもネトゲでも、
 その人がいなくなったらどうにかなってしまうなんてことは良い状態ではないのだ。

 
 もし仕事で「その人がいなくなったら仕事にならない」というのは、
 ある意味、
 まわりの人はそれまでの間何してたの?ってことになる。

 良い会社の条件とは反してる状態だもの。

 自分を必要とされたい人は、
 その立場をゆるがす人を潰す人でもあるから、
 自己愛的にもなることが多い。



 ネトゲで自分を必要としてくれることに居場所を見つけてる人は、
 回復役のキャラになってることが多く、
 自己愛的な人は攻撃系を好むことが多い。

 それは確実に「自信のなさのあらわれ」



 ゲームに限らず、
 依存するの理由の根本は同じ。

 依存から抜け出すには、
 そのつきあいを断ち切る必要がある。



 ゲームをやめる決心をしたネトゲ廃人の人が、
 「ゲーム内知人の●●さんが引退だからきてあげて~」といった呼び出しをされて、
 自分を必要としてもらえることに喜びを感じ、
 再びゲームに戻っていったのを見たことがある。

 そんなことやってて、
 ゲームばかりの生活に留年しつづけてた人、
 学校を休学してまでゲームを続けていた人、
 暇さえあれば一日中ゲームをしていた某省庁系大学校公務員官僚候補の人、
 いろんな人がいた。

 ネトゲ依存は間違いなく人生をおかしくする要因をもってる。

 しかも、
 自分だけじゃなく他人をも巻き込んで。



 依存から立ち直るためには、
 自分の現実逃避場所を壊す必要がある。

 でも、
 人格障害になったネトゲ廃人の人は、
 いちどゲームから離れてもなぜかまたそこに戻ってしまう。



 なんか、
 ネットゲームに依存して現実に戻れない人は、
 子供時代に退行しているんじゃないかって気がしてならない。

 退行なのか、
 子供のまま止まってるからなのかはわからないけれど・・・。



 ネトゲ廃人は自分に全く関係ないことじゃない。

 誰にでもおこりうることであり、
 現実だ。

 ただ表面に見えていないだけで、 
 どこにでもある。



 ネトゲにはまってる人をみたら、
 まず間違いなく、
 その関係からは足を洗ってやめた方が身のためだよと思う。



 「ネットゲームにはいい人もいる。みんながおかしいわけじゃない。」なんていいわけはとんでもない。

 いい人か悪い人か、
 そんなことじゃなく、
 考え方が不健全な人が多すぎる、
 そんなスラムのような場所にあえている必要あるのかと思う。



 ネトゲを離れてみて思うことは、
 心を不健康にしたいなら、
 ネトゲをしたらいいよってことかな。

 健全な人には魅力的な世界じゃない。



 依存の怖さは、
 抜け出してみてはじめてわかるものかもしれない。



 ネトゲをしている人、
 人に依存している人は読んでみると興味深い本かも・・・。



 どんな内容でも、
 楽しい・面白いをとおりこして、
 不必要に「私が~しないと」と思ってしまう状態は、
 立派に病気だ。

 子供でも部下でも、
 自分がいなくても一人できちんとやっていけるという状態が理想的だし、
 それが独り立ちということであり、
 一人前。

 私がいないと~なんて思ってるのは、
 相手を半人前にしか見てない・認めてないのと同じことだもの。

 「自分がいなきゃ」「あなたがいないと」という状態は、
 依存し依存され相手を認めていない状態。



 「自分がいなくてもあの人なら大丈夫」
 そう言えるのは、
 相手を信頼し、
 相手の価値をきちんと評価しているからこそ。

 信じているからこそ、
 離れていても大丈夫なんだよ。



 表面だけのなれあいをやめ本当のつながりがほしいなら、
 「相手をちゃんと信頼すること」。

 そして、
 自分がまず自分の足で立っていられることだ。



 そんな関係になれず、
 片足だけでお互いを支えあうような、
 どこかが一本ぬけたらみんなくずれるような関係は、
 偽りでしかないと気づくか気づかないか、
 そこが大きな分かれ道。

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