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自分を殺すと相手も殺すことになる 

 「曲げられない女」のドラマを見ていて、
 本当の友達ってなんだろ~って思った。

 「私にはまだそんな友達いません。」というセリフからふと感じた。



 私には、
 他人からみて「すごく仲がいいね~。」といわれた友達関係が過去にあったけれど、
 フタをあけたら、
 一番仲がいい友達とはほど遠い、
 「友達ごっこ」だけだったという経緯があったから、
 それ以来「友達」について機会があるたびによく考える。

 あのとき、
 相手にとって都合のいい、
 相手が喜ぶ「友達」を演じ続けていた。

 そうすることが良い関係を続けるのに一番必要だからと思ってた。

 お互いガマンする部分はあって当然と。

 そんな関係、
 結局ぶっちぎれたけれど。



 そんなの友達といえないもの。

 自分を殺して「良い友達」を演じるなんてね。



 この間読んだメルマガの一言がつきささる。

 「自分を殺すということは、
 自分のまわりにいる他人も殺すことになります。」



 自分を殺してガマンをすれば全てうまくいくという、
 その考え方は一見謙虚なように見えるけれど、
 実は隠れた横柄さがある。

 そこにあるのは、
 自分が悪く思われたくないという自己愛だけだから。

 自分を殺せば、
 無理に抑えられた感情はマグマのように地下深くにたまっていく。

 自分が納得できていれば、
 自分を殺す必要はない。

 自分を殺す必要があるのは、
 自分が納得できないのにその気持ちを外にだせずに、
 どこかに隠してしまっておこうという時。

 ゴミに出したいけど捨てられないから、
 ベランダに山積みにしちゃえってことだもの。

 そんなその場しのぎは、
 いつかあふれ出してしまう。



 そのメルマガにはこんな内容が書かれていた。

 自分を殺してその場をしのいでも、
 それは必ず近いところに「ストレス」という形で顔をだす。

 「不愉快な態度」「やる気のなさ」「疲れた態度や生活感」といった負の形で出てくることが多い。

 そうすると、
 自分はその場をガマンしておさめたつもりでも、
 自分の雰囲気や表情を通して現れるから、
 その場の雰囲気を乱したり空気を悪くする。

 みんなが楽しそうに話してるのに、
 一人つまらなそうにしてるとか、
 嫌そうにしてるとか、
 そういう空気は周りの誰かしら感じ取るもの。

 それは相手の「場」を殺すことになる。

 ある意味で、
 空気読めない人。



 自分を偽って演じるより、
 自分の気持ちをはっきり伝える方が結果的に「他人のため」になる。

 自分を偽るのは、
 同時に相手を偽ってることでもあるから、
 相手に嘘の態度をとることと相手の場を殺すことで、
 ダブルで失礼にあたる。

 相手に自分の意思を伝えてそれが結果的に失礼になったとしても、
 ダブルで失礼をするよりはよっぽどいいんだとか。

 自分を殺すことが「まわりのため」という思いでするのは、
 傲慢以外の何物でもない。

 あなたのためよって言いながら、
 自分の考えを押しつけてるだけで、
 誰も良い思いをしないから・・・。

 それで、
 「あなたのためにガマンしてきたのにっ!」と爆発されたって、
 「自己満足で勝手にガマンしてるだけで、
 誰のためにもならない。」ってなっちゃうもんね。



 自分にも他人にも嘘ついてたら、
 自分でも他人からも信じられない人になっちゃう。



 「曲げられない女」では、
 主人公は「本当の友達はいない」というような話をしているのだけど、
 いい友達いるじゃないの~って思える人たちに囲まれていることに本人が気付いてないだけに見えた。



 本当の友達って、
 自分を偽らず、
 また、
 一定の距離を自然にとれて、
 相手の全てを知らなくてもつながっていられる関係なんじゃないかって思った。

 相手のことを知りたいとか、
 プライバシーを詳しく知ってるとか、
 自分だけが知っている相手の情報を持っているとか、
 そんなことじゃない。



 距離感がおかしい人程、
 個人情報を基準に「親しさ」を感じ取ってるんじゃないかって思う人が多い。

 だから個人情報に異常な執着を見せてしまうのかもしれない。

 誰とどこで何してて誰とつながってて過去にどうしてきて、
 なんでどうして・・・って。



 個人についての情報だけで、
 相手のことを理解できるはずもないし、
 それどころか、
 相手をちゃんと理解できる人なんて本当はいないのかもしれない。

 自分のことだって、
 ちゃんと理解できてる人なんてそんなにはいないのだから。



 人のために何かをするという「ボランティア」には「奉仕」という意味がある。

 奉るは「差し上げる」ことだから、
 奉仕は自分が出来ることを相手に尊敬の気持ちをこめて「献上」させていただくこと。

 誰かのために何かをするときは、
 「自分がいままで人にいただいた恩を返せる場として、
 そういう機会を与えていただいたのだから、
 人のために何かさせていただく。」
 という意味がある。

 してあげる/してあげた、という気持ちは、
 自分の都合の押しつけになるから、
 「自己満足の行為」ということにつながる。

 だから、
 その気持ちを受け取ってくれた人に対して、
 「ありがたいと思わないのか?」ではなく、
 「そういう機会を与えてくれてありがとう」。

 人のためとは、
 本来はそういう意味。



 結構、
 勘違いして「良い態度」だと思ってしてしまうことはあるけど、
 結果的に反対の意味になってることってあるものなんだよね。



 いちいち「相手の表面的なこと」を気にしなきゃならないのは、
 友達とは言えないのかもしれない。

 それはただの知人というのかもしれない。



 前に自分のブログに自分の本当の気持ちを書いていたら、
 「自分の目に入るところにそんなことを書くな。」と罵られて、
 自分のブログさえ本心を出せなかった。



 自分のテリトリーで自分の本音を出せないなんて、
 自分がそこにいる意義がない。

 そんなうわっつらのつきあいを望むなら、
 うわっつらだけの付き合いに意義を感じない。



 勝間和代さんがブームになっていて、
 辛口でズバズバ言いたいことを言って支持されている。

 それは、
 自分に嘘をつくことが愚かしいと感じている人がそれだけいるからでもあり、
 誰かにこびることなく、
 自分に一番正直だからこそ、
 魅力的に映るからなのかもしれない。



 自分が本音で素直に話せる相手、
 それが大事で素敵なお友達。

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