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失くしてありがたいもの 

 昨年末~今年に入って「なくなってありがたい」と思うことが多い。

 電化製品が壊れたり、
 買ったばかりの土鍋のフタがわれたり、
 失われた命があったり、
 体調が崩れたり、
 当たり前に使っていたものが一時的にせよ使えなくなったり・・・。

 その時は不便だったり悲しかったりといった「暗い気持ち」があるのだけれど、
 その都度、
 「ありがたかったなぁ。」とも思えた。

 なんだかそれが続いてきたら、
 逆に失くす出来事こと自体が、
 「ありがたさを教えてもらえる機会」として、
 とても待ち遠しささえ感じる機会となった。

 失くすことが待ち遠しいというと不謹慎だけれど、
 今度は何のありがたさを実感させてもらえるのだろうかとすら思うようになったというか・・・。



 ちょっと前に、
 クレヨンしんちゃんの「モーレツ大人帝国の逆襲」という映画をやっていたのを録画していた。

 しんちゃんて好きじゃないし、
 子供向けであまりみる気がしなかったのだけど、
 去年公開した「パラッド~名もなき恋のうた」という実写映画の原作がクレヨンしんちゃんで、
 その原作アニメのしんちゃんの映画を見たことから、
 しんちゃんに対しての考えが変わって以来、
 しんちゃんの映画を見てみたいと思うようになった。

 しんちゃんは幼児向けのアニメだと思っていたから、
 「内容がたいしたこと無い」って思い込んで今まで敬遠していた。



 実際見ると結構いい話で、
 そこから、
 ドラえもんでもいい話はあったっけと思い出す。



 そのしんちゃんの「モーレツ~」という映画のテーマは、
 大人たち20世紀になくしたもの。

 20世紀のあのころに戻りたいっていう内容だった。

 オールウェイズ3丁目の夕日もそうだったけれど、
 なくしてみてはじめて当たり前のありがたさがわかるという話。



 胃腸が弱って食べられなくて、
 やっと普通に食べるようになったら、
 ひさしぶりに食べたときの味って不思議なくらい味わい深かった。

 いつもの味なはずなのに、
 こんな味だったかな~って思えるくらいの味だった。



 しんちゃんのアニメを見ていても、
 失くすことは決して不便でも悲しいことばかりでもないって思った。



 そしたら、
 何かを失くすのが怖くなくなったし、
 ちょっと楽しみにすらなったような気もした。



 失くせることってありがたいんだね。

 持っているから失くすことができるんだもん。

 最初からもってないものは失くせないのだから。

 失くせばその存在のありがたさを知ることができる。



 フタのなくなった土鍋は、
 おなべのフタで代用されて、
 「フタがあることの便利さ」を痛感させてくれる。

 なべにフタがあるっていつもは当たり前って思ってた。

 理由があるから存在してる、
 だからなくなると不便になったり悲しくなる。

 必要なものだったから、
 悲しいと思える。

 どうでもいいものは、
 なくなっても何もかんじない。

 それは生きている存在だろうと、
 命のない存在だろうと、
 大事なものは、
 その大事さに変わりはないということ。



 なくしたくないと思っているものは普段から大事にしているつもりでも、
 無意識ではなくしたくないと思っていても、
 気づかず粗末にしてしまっているものも多い。



 失くしたものが教えてくれることは、
 自分が気づいていないものにもなくしたくないものはたくさんあり、
 そして、
 自分の存在を自分で大事に思えるような生き方をしなさいってことにもつながるということなのかもしれない。

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