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癒しで救われても、変わることはできない 

 心の荷物が重たく感じているけど、
 日々がんばりたいと思ってる人はたくさんいる。

 そんな人たちを見ていると時々目をつむりたくなるときがある。

 心のつかれを癒すことに力を注ぎすぎてしまい、
 そこから出られなくなってしまっているように見えることがあるから。



 私は、
 「癒されたい」「癒して」「癒されてます」と言われると、
 ぞぉ~っとすることがある。

 つかれた自分を癒す方法を知ることは大事だけれど、
 癒されただけでは自分は何も変わらない。

 心が癒されることで、
 自分と向き合うことへの障害がリセットされて、
 「自分と向き合う準備ができる」だけなんだ。



 心が癒されれば自分も変われると思ってることに気付いていないことがある。

 そんな時、
 「心を癒してくれる相手」がいれば自分が変われるとすら思うこともある。

 内心、
 「自分を変えてくれる」と思っているのかもしれない。



 「心が癒される」って言葉は、
 心のつかれた人が発する言葉だもの。

 心の元気な人は「癒し」という言葉をあまり使わない。

 疲れてない部分はなおせないから癒せない。

 しみこむのは、
 しみこむ隙間があるから。



 心の癒しって、
 心がすりへった部分をうめるものなんだよね。

 心がすりへっていないなら、
 うめるものは必要ない。



 心がへこんだとき、
 癒しは必要だけど、
 穴をうめてばかりじゃそこから先には続かない。

 へこんだ部分をなおしたら、
 形をつくらないとだよね。

 心が癒されて救われただけで満足してたら何もかわらないから、
 また癒しが必要になる。

 心の穴うめという癒しから開放されるためには、
 うめた後に自分が何かを作らないとぬけだせない。

 それが建設的ってことなのだと思う。



 自分の心が癒されるものばかり求めている「癒され人」は、
 見てる方も疲れてくるから不思議だ。

 建設的じゃない人って、
 見た目はまったりしてるのに見てると疲れる。

 建設的な人って、
 見た目はめまぐるしいのになぜか疲れないし元気すらもらえる。

 不思議だね。



 癒された~♪って気分がいいのは、
 体の疲れが癒されるときなのかも。

 温泉は体のつかれもやわらいで気持ちいいもんね。



 もう二度と、
 「あなたがいるだけで心が癒されます」
 「あなたをみてると心が癒されます」という人とは近い距離間になりたくない。

 そういうことを平気で言う人は、
 今まで見てきて確実に病んでたし、
 言われた方は肩代りさせられて疲れきっている。

 他人を見て癒されるといってる状態は、
 自分の問題を自分で対処できないってことだと、
 気付いた。

 自分の心の問題を人任せにしてたら、
 いつまでたっても変われないんだね。



 前に向こうとしているのに、
 前とは違う足元ばかりを見ている状態。

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