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そこらじゅうにいる人格障害 - 「人は人、自分は自分」の本当の意味 

 人格障害というと、
 なんだか「きちがい」的に大きく人としての路線を外れてしまっている人を連想する人も多いようだが、
 実際はかなり多くてそのへんにいる。

 私も最初人格障害という言葉をきいたとき、
 「理不尽な理由で人を殺すほどの考え方のゆがみの持ち主」だと思っていた。



 それって間違いだったんだよね。

 あとから、
 人格障害も、
 「畑に植えた野菜が見た目は大差ないのに味がイマイチだった」程度にあることだと知った。



 いま、
 「のだめカンタービレ」の話題が多くて、
 それを見ていてそのことを思い出した。

 のだめのチアキ先輩は自己愛型系で、
 のだめは発達障害の典型キャラだと、
 ある精神科の先生がブログに書いているのをみたことがあったことも思い出した。

 そこから、
 「え、このキャラのこの程度の性格で・・・?」と思ったことが、
 人格障害や発達障害について興味をもった発端のひとつでもあった。



 そういう視点からドラマを見ていると、
 ドラマの世界にとっても多いことに気付く。

 主役級の個性的なキャラ、
 もしくは脇の個性的キャラが人格障害か発達障害的な特徴を持っていることが多い。

 メイちゃんの執事とか小公女セイラとかそうだね。

 何もブラックキャラだけがそうだというわけじゃなく、
 正義感にあふれているキャラに見えて実は・・・ってパターンもある。



 個性的なアーティストやアイドル・俳優さんも、
 トーク番組の中の言動を意識してると、
 すごく顕著にでている人もいる。

 キャラ作ってるというのとは違って、
 ちょっとした無意識の言動にでているもの。

 そういう人は、
 ある一面、
 似たような人から「カリスマ的」な存在として圧倒的な支持を受けていることも少なくない。



 とにかく「物」にこだわりの強い人はその傾向は強い。

 それは、ヲタクと呼ばれる人たちには「人格障害」に見られる特徴を強く持っている人が目立つことと関係があるからなんだろう。

 病的なまでに強いこだわりを持って一定のアイテムを収集し続けたりする人に多くみられる。

 自己満足に歯止めがかけられないというか、
 別世界の人というか。

 T八郎さんなんて、典型だと思うし。



 人格障害は、
 消化不良とか栄養不足といったようなもので、
 「何かが足りてない状態」だから、
 そこに気付いて満たされれば「普通の人」にもなれる。

 この「何か」が、
 「考え方がまがっちゃってる」ことで、
 足りないことを認識できないというやっかいな状態なんだ。



 前に、
 人格障害被害にあった被害者のための掲示板というのを何箇所かでみたことがあった。

 その時は、
 人格障害は特殊な人たちだと思っていたから、
 特殊な人たちに普通な人たちがふりまわされることだと思っていた。

 本当は、
 人格障害自体はその人が欠陥人間かどうかという類のものではなく、
 その人の一部の不完全さが目立ちすぎているという状態なだけであって、
 いつ誰がそうなるかはわからない。

 (一部の発達障害のうまれもった性質や脳の構造の人はまた別だけど。)



 人格障害を引き寄せているのは自分自身の中にある「原因要素」で、
 被害にあったと「相手が悪い・自分は悪くない」と考えてしまう時点で、
 それこそ白黒思考に近く、
 自分を振り返れていない状態ということに「気付けない」状態なのだ。



 人格にゆがみがある人を引き寄せてしまうのは、
 自分にスキがあるからでも、
 相手が無差別テロのようなものでもなく、
 自分がそれににたものを持っているから。

 自分がどんなに引き寄せたいと思っても、
 相手だって無意識に感じるものがあるから、
 つきあいにくいと感じる人のところにはよってこない。

 それこそ、
 人格障害の強い「こだわり」を持つ人ほど、
 「自分は付き合う相手を『自分で選んでる』」と言いたがるもの。

 そんな相手に縁あって深く関わってしまうとしたら、
 自分自身に原因がある。

 人格障害の芽になりそうな「ゆがんだ考え方になりうる考え方」が。



 いまの自分を変えたくてがんばってるけど抜け出せないっていう人はたくさんいる。

 そういう人に限って、
 「同士」と感じられる人に声をかけたがるが、
 相手にほめられ相手をほめる関係になったとしても、
 あるときぱったりと行き来を自らやめてしまうことが多い。



 結局、
 「がんばってる仲間がほしい」という隠れ蓑の下には、
 「この人なら自分の苦しみを理解して共感してくれるだろう。」という、
 仲間以前の理解者を求めているだけなんだ。

 だから、
 どんなに共感していても、
 「私もなんだ。」という態度を軟化させれば次第にその人たちは去っていく。

 それは、
 「本当は共感仲間がほしいのじゃなくて、
 自分を理解してくれる味方がほしいだけで、
 相手の立場は知ったこっちゃない」から。

 相手が自分と同じか自分よりも大変そうだと知れば、
 自分の大変さを理解してもらえないと感じるから離れていく・・・。

 それが「お友達ごっこ」の本当の理由と原因なんだろうね。



 自分を変えたくてがんばっているのに、
 思うように変われなくて、
 前向きになりたいのに思うようになれない人には、
 「本当に前向きな精力的な人」を避ける傾向がある。

 本当に前向きな人に自分の何かがあわないから避けてしまうけど、
 その違いを理解できないから変われないのだとは気付かないのかもしれないね。

 本当に前向きな人は、
 お友達ごっこに魅力を感じないから、
 参加も共感もしてはくれない。

 共感がほしい自分を否定されることが嫌なのかもしれない。

 だから前向き人間を避けてしまう。

 お友達ごっこに参加してくれるのは、
 傷をなめあうだけの相手だけなのだ。



 以前、
 「人は一人では生きられないとやっとわかったよ。」と言ったら、
 「なに言ってのあたりまえでしょ。精神的にお互いを支えあっていかなきゃいけないんだから。」と冷たく言われたことがある。

 「人は精神的に支えあうから生きていけるのであって、
 一人で自分を支えてると思うのは傲慢だ。

 あなたは間違ってる。

 あなたとも支えあえる関係になりたかったが、
 (私が相手とのよりかかりの関係を)受け入れてくれない人とはそういう関係にはなれないから無理だ。」といわれたのだ。

 助け合ってという意味では一人では生きていけないのはわかっていたが、
 精神的に支えあうというのが私にはずっとひっかかっていた。

 精神的に他人によりかかるのではなく、
 自分で自分を支えるものだと思って生きてきたから、
 精神的に支えあうというのは腑に落ちなかった。

 だれかの心によりかかりよりかかられではなく、
 自分で自分を支えられてはじめて人も支えられるのじゃないのだろうかって思ってたから。

 それが家族や恋人ならなおさらで、
 相手を支えてあげたいと思った時、
 自分が一人で自分を支えられなければ相手の助けになることはできない。

 ちゃんと自分で立っていられたら、
 転んだ相手に手を差し伸べることだってできるのに、
 お互いをつねに支えあってたら、
 どちらかが転んだとき、
 共倒れにもなりかねない。



 この間のドラマ「リアル・クローズ」で、
 「人は一人でたっていられる自分になれて、
 初めて本当の仲間と出会えるの。」というセリフがあった。

 前にMixiをやっていたとき、
 Mixiで出会ったマイミクさんで、
 リストカットマニアの典型的な「境界性」に見える人がいて、
 その人が言ってたことを思い出す。
 「あなたは私の荷物を半分もってくれますか?

 私の辛い気持ちをわかちあってくれますか?

 私はあなたの辛い気持ちを半分持つから、
 あなたも私の荷物を半分もってくれませんか?

 荷物を共有できる仲が本当の友達ですよね。

 だから絶対に私のことを見捨てないでね?」



 こうやって、
 共感してくれる身捨てない同士を求めているんだなぁと気付いたとき、
 怖くなってIDを消してしまった。

 この人だけじゃなかった。

 他に同じことをいう人が何人もいた。

 だからそのままIDごと消してしまった。



 精神的な荷物を共有できるのが本当の仲間じゃないって思う。

 自分の荷物は自分のものだ。

 自分でしか解決できない問題を他人にもたせるのはおかしいし、
 誰かが変わりに解決しても誰のためにもならない。

 本当の仲間は、
 心の荷物がどんなに重たくても、
 重たい荷物を持った人を見守り続けてくれて置いていかない人だ。

 他人の荷物という心の問題を平気で肩代りしたがる/させたがるという人は、
 仲間とは何かが違う。



 人格障害の人はこの言葉が好きであり、
 同時に人からこう言われる。

 「偽善者」って。



 一見親切にみえるこんな人、
 案外たくさんいる。

 その実は・・・。

 神のみぞ知る、
 だろうけど。



 アスペルガーや人格障害の人からの、
 心の荷物を分かち合うこういった「善意から言ってるらしい(本当は違う)」の提案を、
 「自分の問題だから自分で対処します。」とお断りすると、
 後でほぼまちがいなく「人格否定のこきおろし」がくる。

 やってる方は、
 これが典型的な「人格のゆがみのパターン」なんだとは気付かない。

 逆に、
 「自分の問題は自分にしか解決できないから肩代りは出来ない。」と答えると、
 冷たい人間のように言われたりする。

 何が冷たい人間で、
 何が冷たくない人間なのか、
 何が人に対しての親切で、
 何が人に対しての不親切か、
 そこをはき違えると正反対の結末がまっている。



 自分の問題は自分で、
 他人の問題は他人にしか解決できない。

 これは「神が与える自分にしか乗り越えられない試練」であり、
 「人は人、自分は自分」ということでもある。

コメント

Re: 私の体験談かと思いました!

> >

 コメントありがとうございます。

 人格障害の人の言動には、「普通の人」と呼ばれる人たちとは違う独特の特徴があり、だからこその「人格障害」なのだと思います。

 裏返せば、その特徴にさえ気づいてしまうと、見分けるのはさほど難しくはないのかもしれません。
 本物の特徴を知っていればこそ、本物とは異質なるものが見分けられ、また、メッキの特徴に詳しければこそ偽物が見分けられ・・・、ということなのかもしれません。

 人格障害になる原因がある程度しぼられれば、行動パターンが見えてきやすいとは思います。

 まさに、「なにかにほふ!!なにか違う~!!!」ですね。

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