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才能とは、磨いてはじめて役に立つもの 

 「才能とは磨いてはじめて役に立つもの。」

 ってドラマ「0号室の~」の中でいっていた。

 その通りだけど、
 つい忘れがち。

 普段うまくいかないと、
 そばにうまくいっている人が近くにいればいるほど、
 才能がないから~とか、
 才能があったらなぁ~なんて思いたくなっちゃうもの。

 だけど才能って、
 もともと持ってる絶対的な天賦の能力だけではないんだよね。

 もって生まれた能力があったとしても、
 生まれたばかりの赤ちゃんがいきなりできるわけではない。

 出来るようになるまでには、
 それなりの時間は必要。

 出来るまでに必要な時間は、
 人によって多少の違いがあるだけなのかもしれない。

 必要な時間の中にはもって生まれたものだけでは足りない必要な要素も含まれている。

 挫折を知ってはじめて開花するものだって少なくないもの。



 つい最近、
 「最近片付けばかりしてて遊んでくれないからつまらない。」といわれて、
 自分でびっくりした。

 そんなに片付けしているつもりはないんだけどなぁ~?!

 心の中のわだかまりやこだわりが減ったら、
 まわりの不要なものと必要なものの区別ができるようになってきて、
 捨てるのに未練も少ないし後悔もすくなくなった気がする。

 自分でもまわりを見る目が変化したような気はしていた。

 使わずにそこら辺で遊んでいる物があると、
 「あれ何かに使えないかな~。」といつのまにか考えている。

 必要ないものを見つけると、
 そこに「放置して置いていること」がもったいない気がしてくる。

 どかしたらもっとすっきりするのにって気になる。



 だから、
 使い道を思いつくとすぐにやりたくなってしまう。

 そんな様子が「片付けばかりしている」ように見えるらしい。


 
 いままで片付けって苦手で、
 自分は片付けに向いてないというか、
 片付けの能力が足りないのだと思っていた。

 だけど、
 それはどうも違うのかもしれないと思いだした。

 片付ける能力が必要なのではなく、
 使えるものと使えないものの区別をする能力が足りていなかったのだ。

 自分に必要かどうかを区別するためには、
 「自分が何をしたいか・どうしたいか。」という「どう生きるか」といったライフスタイルがはっきりしている必要がある。

 「間違えて捨てちゃってもまぁいいっかと思えるか。」とか、
 「とりあえずとっといた時自分はそれをどうするのか。」とか。

 ただなんとなくとっとくのは、
 「時の盗人」だ。

 考えることを先延ばしにしているだけだから。

 自分の性格や性質をわかった上で、
 完ぺき主義に生きるのか
 臨機応変に生きるのか
 どう生きたいのか
 はっきりしなきゃ話しにならない。

 裏返せば、
 自分がどうしていきたいのかはっきりしていないことが、
 片付けに出ていたってことなんだろうなぁと思う。

 割り切ってる人は物を溜め込まないことが多いとか、
 物事がはっきりしていないと嫌な人はきっちりと収納したがるとか、
 それなりに性格に現れるものだもんね。

 私が片付けられないのは、
 ・面倒くさい
 ・どこに片付けていいのかわからない
 ・捨てたらもったいなそうだからとりあえずとっとく
 というのが大きかった。

 これを分析したら、
 ・面倒と思う程度にどうでもいい扱いをしている
 ・どうしていいかわからないからそのへんに置いて片付ける場所を考えることを先延ばしにしている
 ・買っただけで満足しているだけの自己満足の物になっている
  捨てて損した気になるのが嫌というケチな自尊心が垣間見えている
  古いものを手放す勇気がない
 あたりが思いついた。

 全て自分の物に対する偏見と自分勝手なこだわりからだと思った。

 物を手放せないのは、
 「今を変えるのが嫌」だから。

 捨てれば空間が広がってすっきりするとか、
 代わりの新しいものを置くことだって出来るのに、
 捨てたら「なくなる」ことばかり考えていた。

 なくなってしまう=損するというマイナス思考。

 ばっさりと捨ててみると、
 案外すっきりして別の新しいものを探すという意欲がでてくるのに、
 なくして捨てていつか使うときに後悔したら嫌だという気持ちが働いてすてられなかった。

 手放すことが惜しいのは、
 「その物」にこだわりが強いから。

 捨てるのがもったいないなら、
 リサイクルなどで人にゆずればいいのだもの。



 普段から「何に使おう」って考えてたら使い道も思いつきやすく、
 いくら考えても使い道が思いつかないものは「いますぐにはいらないもの」、
 だから捨てても後悔が少ないんだって実感して以来、
 「必要なものと不必要なものを区別する能力は、
 普段から意識してはじめて身につくものなんだ。」と思った。

 最初から見分けられる人っていない。

 出来る人できない人の差は、
 普段からやっているか・いないか。



 知力クイズによく出ている高学歴芸人のロザン宇治原さんについてのエピソードをどこかでみた。

 頭がいいのは単に元々天才肌というだけではなく、
 常に努力する自分なりのスタイルが身についているかららしい。

 相方の人も高学歴の芸人「ロザン」。

 二人が頭がいいのは、
 「ノートに書きこんで記憶する努力をしている」とか、
 「新聞の社説を読み比べて書き写して文章を書く練習をしている」とか、
 自分の能力を磨いている結果。

 文章がうまくかけるのも、
 記憶力がいいのも、
 「書こうとしている」「覚えようとしている」からで、
 決してもともと能力が高いというだけではない。



 「私はバカだからできない。」とあきらめて何もしないのは通じない。



 自分にあった方法を見つけられているかどうか、
 才能を磨くとは、
 それが一番大事なことなのかもしれない。



 探し物は自分が探さなきゃ見つからない。

 向こうから歩いてきてくれることはないもんね。

 探さなければ、
 目の前にあっても見つからないものなんだ。

 無関心のものは気にとまらないものだから。



 身だしなみでその人がわかるって昔からの言い伝えはやっぱり正しい。

 身なりがだらしないってことは、
 自分に関心が薄いってことでもあるから・・・。



 才能のほとんどは、
 自分の能力を磨くための努力の賜物なんだよね。

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