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因果応報 

 何事も気付きさえすれば、
 身の回りに起こることには理由があることがわかる。

 最近全てにそう思えるようになった。

 今日図書館に返してきた本に、
 「因果応報」について書かれていた。

 因果応報っていうと、
 自分の中での印象は、
 自分に何か悪いことが起きたとき、
 「因果応報だからきっといつか報われるよ」的ないいまわしが多かったように思う。 

 特に、
 嫌な思いを「させられた」と感じている状態の場合、
 「きっとバチが当たるよ」的な受け止め方で、
 自分の悔しさを静めたり・・・。



 本を読んでいてふと何かがひっかかった。

 いままで自分は、
 「因果応報という言葉を、
 誰かのせいにして自分のプライドを静めるために使っていたんじゃないか」って。



 本来の因果応報とは、
 自分が過去にしたものが「今」自分に戻ってきているということで、
 その手段がたまたま誰かを通じて、
 何かを通じて、
 自分に戻っているにすぎないのだ。

 自分が誰かに被害をこうむったときに、
 相手にもしっぺ返しがあるはずだからと心を慰める考えは、
 ちょっと考え違いだ。



 持って生まれた運命はかえられない。

 日本人に生まれててしまうのも、
 アメリカ人に生まれてしまうのも、
 それはその人の運命なのだ。



 生まれ持ったものはかえられないけど、
 因果は自分でかえられる。



 本には、
 自分が逆境に立たされたとき、
 その逆境が大きければ大きいほど、
 それは「過去の自分」がしてきたことのしっぺ返しなのだから、
 「今その清算が出来るチャンスなのだ。
 これを乗り越えることで、
 過去の悪しき自分の行いの清算ができるのだから、
 むしろ喜ぶべきであり祝うべき。」なのだと書かれていた。

 過去に自分がためこんだマイナスの運気が0になるタイミングなのだと。



 「今は悪いことばかり続くけど、
 そのうちいいこともあるさ、
 幸せと負幸せの量は同じだから。」という慰めは正しくはなく、
 過去に自分がやったことが現在自分にかえってきているだけだから、
 これから善の行いをするように心がければ、
 善の因果が返って来やすくなる。

 「どうせ自分にはいいことないさ。」と負の心をためこめば、
 いつまでたっても負の運しかやってこないのは、
 自分でだした負が自分に戻ってきているだけだから。

 今良くないことになってしまったとしても、
 今後善を心がければ、
 たとえその先負のおこないをしてしまうことがあったとしても、
 未来に戻ってくる「しっぺ返し」は相殺されて少なくなるかもしれない。

 幸せと負幸せの量は一定ではなく、
 自分の行い如何。



 このことは、
 ドラマJIN-仁-に何度も出てくる、
 「神は乗り越えられる試練しか与えない。」という言葉と一致するのだと思った。

 「神」が与えるその試練は元は自分からでたものであり、
 自分が積み重ねてきたものなのだから、
 自分で乗り越えられないはずはないんだと。

 悪い因果も良い因果も自己責任の結果。

 逆境に当たったなら、
 清算すべき時なのだと、
 乗り越えれば先が開けるのだと、
 心を大きく持っていればいい。

 そう思えば、
 どんなことでも乗り越えられる。

 絶対に。

 それが自分を信じるということ。



 つらくて愚痴がとまらないときもある。

 愚痴が出るときは、
 一度とことん出し切って自分でもあきれるくらい「ブラック」な自分の面を出すこともアリかなって、
 最近思う。

 毒をだしつづけると自分で自分を追い詰めていくのがわかって、
 後ろがなくなったとき、
 嫌でも光の方にUターンしなければいけなくなる。

 それが自分の道を見つけることでもある。



 誰かに愚痴りたくなる気持ちってあるけど、
 まわりにそんな人がいるのだとしたら、
 愚痴をただ聞き流すのでも、
 愚痴を聞かずにすりぬけるのでもなく、
 上手に愚痴をしぼりだせるような存在であれたら良いいなって、
 最近思うようになってきた。

 愚痴って、
 心の「助けて。」ってサインでもあるから。

 ただ聞くだけだと自分も相手もつぶれてしまうこともある。

 かといって、
 避け続けていても、
 何の解決にもならない。

 愚痴って、
 必ず底があって、
 自分が納得できたときに止まるもの。

 納得できないかぎり出続ける。

 自分自身が納得できるように絞りだせたら、
 簡単に止められるものなのだ。



 「ストレスの解消」という話をしていて、
 最近、
 ストレスの解消が全く必要のない自分に気付いた。

 そんなにストレスがたまらないから、
 解消する必要もないし、
 愚痴がでてもすぐに底をつくから、
 あんがい長く愚痴ることもなくあっさりになったもんだな~って。

 ちょっと何か不都合があっても、
 自分に必要だからあるのだ。



 因果応報って、
 悪いことばかりでなくよいことにも適応される。

 だから愚痴っていると自分に負の因果を積み立ててしまう。

 感謝の気持ちでいられれば、
 善の気持ちを積み立てられる。



 低迷する運気は、
 今までの自分が戻ってきているだけで、
 誰が悪い訳ではない。

 ただ人や物を触媒的な存在として、
 自分に結果をもたらしてくれているだけなのだ。

 そう「稲盛和夫の哲学」に書いてあった。

 それは、
 過去に読んできた本に全て書かれていることと同じで、
 言葉を変えた普遍の真理なんだと思った。



 気持ちが腐りそうになったら、
 無理に止めるのではなく、
 今が毒を出しきるチャンスなんだと、
 全て出し切ってしまう覚悟をする。

 それがほんとうの自分と向き合うこと・・・。



 「許す」ということは、
 この世の中で一番難しいことだから、
 そこに到達するのは並大抵ではない。

 毒を抱え込んだままでは許すことは決して出来ない。

 だから、
 物事にある順番をひとつづつひとつづつ・・・。



 そうして因果は巡る。



 人生とは、
 自分を高めていくことが最大の目標で、
 それが幸せを見つけられる自分になるってことなんだ、と・・・。



 いつでも気付かせてもらえるって、
 なんて有り難いことだろう。



 誰かの何かの言動で嫌な思いをしても、
 それは自分が反応しているだけなのだ。

 そんな因果が現れるのも、
 自分が過去にためこんだ負の感情の結果なのかもしれない。

 嫌なことに反応する自分は、
 「乗り越えなければならない因果」に気付きなさいというメッセージを受けている状態。

 「乗り越えられる試練しか与えられない。」のだから、
 乗り越えられるように自分を見つめなおそう。

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