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「ありがとう」の出し惜しみをしていませんか? 

 ドラマを見ていてふと思った。

 お医者さんに診てもらうと、
 医師に感謝の言葉を告げる人は結構いる。

 「先生ありがとうございました。」と。

 だけど、
 普段買い物をしたとき、
 お肉を売ってもらったとき、
 牛乳を売ってもらったとき、
 買うたびに「ありがとう」という人は、
 関東では少ない。

 大阪では普通に「買い物をしたらお店の人にありがとうと言う」とTVでやっているのを見たことがあるけど、
 関東で「ありがとう」といってる人はほとんど見たことがない。

 あっても「どうも~」っていうくらいだろうか?

 お食事処をでるときに、
 「ご馳走様」という人なら時折みかけるけれど、
 お金を払ったら大抵黙ってお店を出て行く。

 そんな関東人でも、
 お医者さんにかかった時は「ありがとう」という人は他の職業の人相手より多くみかける。



 弁護士や教師といった「先生」とつく人は、
 比較的そういわれることが多い気がする。

 代議士にいたっては、
 ・・・。

 なんでだろ・・・?



 「先生」とつく人が偉いと思ってるから?



 よく考えたらお店でお金と引換えに、
 お肉を譲ってもらったり、
 本を譲ってもらったりしているんだよね。

 たとえばクリーニング屋さんなら、
 物を譲ってもらうわけじゃなくても、
 自分の代わりに洗濯してもらうのだから、
 お礼として対価を支払うのは当然。

 対価を支払うのは当然だけど、
 そこでおわってしまって、
 対価を払ったからもう感謝の言葉はいらないとでもいうのか、
 「ありがとう」というお客さんは見たことがない。

 言うのはいつもお店の人だけ。

 お店側はお客さんに対して「利用していただきありがとうございます。」という気持ちでお礼をいうのだと思うけど、
 利用者側だって、
 「貴重な時間や物をわけていただいてありがとう。」と思うことは当たり前な気がする。

 でも現実には、
 物売りの人やお掃除の人などの方が、
 感謝の言葉をかけられることは少ないように感じる。



 先日、
 スーパーでお手洗いを借りたとき、
 使い終わった後の洗面台をトイレットペーパーで拭いていたら、
 突然隣の人が「あんた偉いわね~。」と言ってきた。

 その時少し面食らってしまった。

 いくらサービスで設置されているとはいっても、
 トイレを使わせてもらっているのだから、
 きれいに使うのが当たり前だもの~、
 と・・・。



 「ありがとう」と言われる職業、
 言われにくい職業、
 なんだかちょっぴり職業差別な気がした。



 やっぱり、
 買い物をしたときに、
 「売ってくれて(譲ってくれて)ありがとう。」って思うのが、
 人の道のような気がする。

 「お金を出してるんだからやってもらって譲ってもらって当たり前」って思うのは、
 自分のかわりに作ったりやったりしてくれている人のことを忘れてしまって、
 横柄な態度だっていう気がする。

 以前読んだ本にも書いてあったように。



 お医者さんも農家の人も家具屋さんも工事の人も、
 本当はみんなみんな偉いんだ。

 自分が出来ないことを代わりにしてくれているのだから。



 そう思ったとき、
 「クレーマー」と呼ばれる人と、
 他人が良かれと思ってしていることに対して「自己満足」と貶す人は、
 とても似ていると思った。

 まるでそれは、
 一握の感謝の心もなく、
 卑屈で傲慢な「俺様」的自己愛の考え方に通じるものがあるような気さえする。



 鬱から抜け出すのも、
 人格障害から抜け出すのも、
 幸せな自分になるのも、
 「ありがとう」という気持ちがなければ成り立たないと思う。



 世界が平和になるためには、
 「ありがとう」という感謝の心からじゃないのかなって思うから。



 追い詰められて逆境から立ち直った人ほど、
 その揺るがない気持ちを知っているから、
 強く輝いてるように見えるんだね。



 レジで「ありがとう」といったら、
 逆に店員さんに「え?」という顔をされたこともあるけれど、
 それでも、
 「ありがとう」という気持ちを忘れずにいきたい。



 関わりのある全ての人に、
 関わりのある全ての物に、
 ありがとう。

 今幸せに生きていられるのは、
 関わりのある全ての存在があるからです。



 生きているということ自体が幸せなことだと、
 忘れてはいけないって、
 命を救うことにこだわる医師を演じる藤原起香さんのギネというドラマを見ていて思った。



 「誰かが自分に何かをしてくれたら、
  自分も何かをする(相手がまず先に何かしてくれるまでは動かない)」のか、
 「自分が人の役に立てることがあれば、
  巡り巡って自分も誰かに助けてもらえる(まずは自分から人のためになにか出来ることを探そう)」のか、
 この二つは似て非なるもの。

 どんな受け止め方や考え方の道を選ぶかは自分自身。

 その選択は、
 自分自身がどんな幸せを手に出来るかということに、
 必ず結びついている。

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