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自分へのこだわり、他人へのこだわり 

 考え方のゆがみについてずっと考えてきて、
 何度もつきあたったことがあった。

 それは、
 物事に対してのこだわりというもの。

 不必要なこだわりは自分をダメにする。

 他人に対して、
 「あなたはおかしいからなおせ。」という人格障害さながらにありがちな考え方のゆがみも、
 他人に対してのこだわりからくるもの。

 あのときああすればよかったと後悔するのも、
 そのことに対してこだわっているからだ。



 人は自分にとって最善の選択しかできない。

 自分でした選択が最善だと思えないとしたら、
 それは選択したことが間違いだったのではなく、
 選択できる選択肢の中でそれが一番よかったことに気付いていないから。

 単に選択肢が少なかっただけなのだと思う。

 選択肢を増やすためには、
 いろいろな角度の視点からみた発想が不可欠になる。

 それが足りなかっただけなんだ。

 「あの時は辛かったけど、自分の選択に間違いはない。」って思えたら、
 後悔は少なくてすむと思う。



 すべてのものに対しての強いこだわりを捨てると、
 イライラしなくてすむようになるし、
 いつまでもひきずらなくてすむ。

 「まぁ、いっか。」って。

 世の中、
 まぁいっかですむことは、
 案外多い。

 落ち着いて考えたら、
 自分が「まぁいっか」にできない状況にしてしまっていることの方が多いかもしれない。

 「こうあるべきだ」という思い込みが、
 自分を「まぁいっか」と思えない自分にしばっていく。

 「普通」「当たり前」「常識」といった言葉を借りて、
 自分の視点を固定してしまうことは少なくない。



 人に対してのこだわりと言えば、
 特に失恋で顕著にそれが現れていると思う。

 相手に対しての拘りが「未練」という形で残ったり、
 「うらみ」といった感情として残った果てに、
 忘れられないような気がする。

 別れた方がお互いの成長のために最善だとわりきれていたら、
 その関係にこだわりつづけることもなく、
 あと腐れない関係になれるのかもしれない。

 相手をわざと傷つけたり無視したりもめたりするのは、
 こだわりを捨て切れずに割り切れてない自分がどこかにあるからなんだろうね。

 たとえ合わなかった相手だとしても、
 「そういう人なんだ。」
 「仕方ない。」
 そう思えるということは、
 そういう人だと割り切ることができるということ。



 掃除力についての本を読んでいると、
 物に必要以上にこだわっていると捨てられないという言葉が見られる。

 何かにだわりすぎるという考え方は、
 物を捨てられずにためこむという部分に実体化してでてきてしまうんだって。

 割り切れる考え方が根本的にできない人は、
 物を捨てるときにも割り切れない。

 こだわりをもつのも程々にすれば、
 見切る限度を自分で決められる。



 一度も着てないけど、
 1年以上ほったらかしだから手放そう、
 なんていう具合に。

 捨てられないのは、
 もったいないという言い訳をして、
 本当は手放すのが惜しいから。

 手放したら損した気がするのかもしれない。



 特定の人との関係に、
 いつまでも恨みや忘れられないといった感情があるのは、
 その人に対してこだわり続けている部分があるから。



 「日本人は中国人を永遠に理解できない」の本の中で、
 中国人は面子を非常に大事にするから、
 面子を潰されたら何年かかっても執念深く、
 忘れずにやり返すというくだりがあった。

 執念深く思い続けるのは、
 自分の面子ということにこだわりが強いため。



 不必要に強いこだわりは自分をゆがませたり苦しんだりする原因になる。

 でも、
 こだわりをもつこと自体は決して悪くない。

 こだわる対象を間違えさえしなければいいんだ。



 アスペルガーや人格障害的な人は、
 とにかく他人に対してのこだわりが強く見られる。

 他人のプライバシーにこだわったり、
 自分がどう思われているのかという他人の評価に異常な執着が見られたりする。

 他人に対してのこだわりが強いと、
 他人の評価だけにすがったり、
 他人の行動に振り回されるハメになり、
 自分の軸がゆがむもとになってしまう。



 一方、
 成功している人にも、
 個性的な強いこだわりが見られるという。

 それどころか、
 こだわりがなければ成功できないとさえ言われる。

 どこが違う?



 成功する人は、
 自分に対してのこだわりが人一倍強い。

 言い代えると、
 信念が強く自分が揺らがないということ。

 自分の生き方・生き様に対しての強いこだわりがあるのだ。

 「こういう人になろう」
 「こういう人でいよう」

 そんな信念に基づいて生きているから、
 筋が通った自分を確立できることで成功を引き寄せていく。




 考え方にゆがみがある人は、
 多くの場合、
 他人や他の物に対しての拘りが強い。

 他人の評価にこだわりすぎるあまり、
 その言葉に右往左往されるものの、
 相手によって評価がまちまちだから、
 他人の評価に頼る結果、
 いつまでたっても一本筋の通った自分が確立できない。

 相手にあわせてたら、
 十人十色なのだから、
 統一できないのは当然だ。

 そこに気付かず、
 自分の生き方が悪いのではなく、
 他人のあり方が悪いと他人の対応にこだわって、
 相手が変わることを望んだり、
 何かの物のせいにして、
 自分の周りが変わることを望む。



 幸せに生きるためには、
 幸せな自分になるという「自分に対しての強いこだわり」が必要であって、
 自分が幸せになるためには「他人やまわりの物が変わること」へのこだわりは全く必要ない。

 それは幸せを阻む壁にすらなってしまう。



 自己満足についても同じで、
 自分が幸せでいるためには、
 自分で自分を満足させることは大事だが、
 他人の評価や反応で自分を満足させようとすることは必要ない。



 自己満足も拘りも、
 「自分が自分自身に対しての行為」が必要であり、
 「他人を介したもの」は必要ない。



 考え方のゆがみって、
 自己満足はよくないといったように、
 なんでもかんでも良いか悪いかだけで判断してしまおうとするからゆがむのかも。

 ゆがんだ考え方だから白黒思考なのではなく、
 白黒思考だからゆがんでしまうのかもしれないね。



 どうせ何かにこだわるなら、
 自分で自分を幸せにできるような、
 自分の生き方に対してのこだわりを持とう。

 他人に対してのこだわりは、
 自分も相手も壊してしまうかもしれない。

 人は人、自分は自分。

 まずは自分ありき。

 幸せな自分になれるからこそ、
 誰かと幸せを共有できるんじゃないかなって思う。



 他人や周りの物にこだわる部分を少し減らして、
 その分、
 自分へのこだわりを増やすだけで、
 自分の個性は強く大きくなる。




 中国人から見ると、
 日本人は、
 とても傲慢で自尊心が強い民族に見えるそうだ。

 「日本人の共存共栄は、
 実は共存自栄である。」

           「日本人は永遠に中国人を理解できない」 孔健:著

 自己中に見えるのは、
 自分は変わろうとせずに他人や周りにばかり変化を望むから。

 自分自身が努力していたら、
 他人から自己中には見えないものだから。




 他人のささいなことが気になると、
 相手をかえたくなる。

 いちいち他人を気にする自分より、
 自分の心と向きあえる自分になった方がいい。

 幸せも答えも自分の中にあるのだから、
 他のことにばかり注目していたら、
 自分の中の大事なものにはいつまでたっても気がつけない。



 「自己満足けという言葉に悪いイメージしかなく、
 他人を非難するときに「自己満足」という言葉を使う人が時々いる。

 あるテレビを見ていたときのこと。

 フランスの難関国家資格を取ったエステティシャンの人「HANAE」さんという人が出ていた。

 フランスでエステティシャンとしてやっているとき、
 言葉や感覚の違い、
 その他いろいろなことに苦労をしたという話のあと、
 「今は自己満足という言葉が一番好きです。」とにこやかに話していた。

 自分の感覚を信じ生きていくという価値観。

 そんな自己満足なら、
 悪いどころかとても良い自己満足だと思う。



 自分が自分のためにしていることに対して、
 「自己満足にしか見えない」という人がいても、
 「だから何?自分は自分だから。」
 それでいいんじゃないかって思う。

 それは、
 自分に対してのこだわりでもある。
 


 誰しも、
 幸せになりたいというこだわりを持って生きているのだと思うから。

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