スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

病気になって良かったと思える心 

 私の中のあなたという映画を試写会で見た。

 この秋公開の映画だよね。



 移植をしなければ生きられない「姉」のドナーとして生まれてきた妹の話。

 最初からドナー役の子供として作られたという妹が、
 「もうドナーにはならない。」と両親を訴えることから話は大きく展開していく。

 最初は妹の「この主張」に納得しながら見ていたものの、
 実は深い理由があるという話だった。

 移植をしなければ余命がない姉のまわりで翻弄される人々。


 この映画の中で、
 ガンの姉にガンの彼氏ができるのだけど、
 その二人の会話が印象的だった。

 「ガンになったから君に会えた。
  ガンになって良かった。」

 死と向き合ってる二人がいうにはとくに重い言葉であり、
 死と向き合ってるからこそ言えるとても深い言葉。



 どんなに人からは困難な状況だと思われることでも、
 自分の心持ひとつで運命すらも良かったといえるものにできるって、
 とってもすごいなぁ。

 そう思えた映画だった。



 人格障害とかACとか発達障害の人たちのつぶやきには、
 「親を恨む」「なんで理解してくれないの」というものもたくさん目に付くから、
 余計にすごいと思った。



 自分を受け入れるということは、
 死の重さでさえも超越してしまうのかもしれない。

 誰かのせいにして生きる考え方は、
 まだまだ人間がなってないって思い知らされる。



 「私の中のあなた」
 「天国で君に会えたら・・・」
 先日見ていたあるドキュメントに共通の言葉があることに気がついた。

 「病気になって良かった。」

 末期がんの人からこんな言葉が出たら、
 障害がある人からこんな言葉が出たら、
 余命を宣告されたこともない人はどう思うだろう?

 「強がってる。」とか、
 「無理にそう思いこんでる。」と感じてしまうかもしれない。



 そういえば以前、
 五体不満足の著者の乙武さんも同じことを言っていたように思う。

 この体で良かったと。



 ちょうどこの話をしていたとき、
 「病気になって良かったという意味がわからない。」という言葉を聞いた。

 その時、
 「そうだよね~。」と思う反面、
 なんとなくわかる気がするという感覚になった。

 人って、
 自分が体験したことでないと実感できない。

 だから、
 「辛いだろう、苦しいだろう」ということは想像できても、
 それ以上のことは想像もつかないのかもしれない。

 けれど、
 病気になった人のこういった言葉は、
 病気になったおかげで知ることができたことなのは確かだと思う。

 「天国で~」では、
 病気にならなければこんなこと思いもしないし気づかなかったと、
 「私の中の~」では、
 病気になったから出会えたと、
 病気になって腕の機能を失って全てを足でする人のドキュメントでは、
 普通はできないことを足で何でもこなせるようになったし、
 そのおかげでたくさんの人に出会えて、
 たくさん気づくことができたと。

 きっとそこには病気になったからこそ気づける何かがあるんだよね。

 多くの人が障害や病気だと大変だと思ってしまうのは、
 五体満足が「普通で当たり前」だと思っているからかもしれない。

 無意識に、
 普通じゃないのは大変と思ってしまっていたり。



 ずっと以前に見た、
 病気でいつ死ぬかわからない人の言葉にあった印象的なこと。

 「明日がくることは奇跡なんです。

 自分が寝てる間に死んでしまうかも知れないという身になって、
 初めて当たり前に明日が来ることが、
 当たり前じゃない特別なことだと気がつきました。」って。



 人は普段の日常を当たり前で特別なことじゃないように思い込みすぎてるのかもしれない。

 ちゃんと気づけばどんなことも特別で奇跡だって忘れちゃってる。

 ここにいて生きてることだけでも奇跡なんだもんね。

 水道をひねれば水が出ることが当たり前だと、
 思ってしまうことは、
 本当はとても恐ろしい落とし穴なのかもしれない。



 病気にならなきゃ気づけないことがある。

 鬱になったから気づけたことがある。



 鬱になったから、
 心の問題を考えられるようになった。

 それは自分で実感している。

 だから実感しないと理解できないことがあることはよくわかる。

 自分が体験しないとわからないことが世の中にはある。

 もし、
 自分が体験したことがなくて、
 なかなか体験できないようなことを体験したことがある人がいたら、
 その人の言葉を「そうなんだなぁ~。」とすんなりと受け止められたら、
 思い込みからも開放されるかもしれない。

 鬱になったことがない人ほど、
 「鬱は単なるなまけやさぼりだ。」と言う人が多いのは、
 自分は体験したことがないから理解できないのと、
 自分が持つ先入観からだものね。

 「そうなんだ辛いんだ。」とすんなり思えないから、
 そうなっちゃう。

 自分が体験もしたことなくても、
 相手のいう感覚をそのまま受け止めることが、
 相手を理解することになるのかもしれないね。

 わかったフリして共感するよりも、
 「自分には実感できないことだけど、あなたにはそうなんだよね。」と思うことが・・・。



 余談だけど、
 「私の中の~」の映画のレビューでおもしろいことを書いてる人がいた。

 女優さんにインタビューしたとき、
 「あなたは実際には結婚も妊娠もしたことないですが、
 母親役になって大変でしたか?」という質問をしていた。

 実際に暴れん坊将軍になったことはないですが、
 将軍を演じるときに大変でしたか?とマツケンに聞くのか?

 あなたは宇宙人だったことはありませんが、
 宇宙人の役になって大変でしたか?と宇宙人をやる役者に聞くのか?。

 バカじゃないか。」って書いてる人がいて、
 妙に納得してしまった。



 人って無意識に先入観がでるものだね。



 こういう気づきに出会えるようになったのも、
 心が壊れたおかげ。

 その時は辛いように思えても、
 自分にとって全ては最善なんだってつくづく思う。



 今日も一日無事に過ごせて、
 満たされたことに感謝を・・・。

 全ては自分にとって最善にしかならない。

 そう思っていられれば、
 どんな状況になっても笑って乗り越えられる。

 それは、
 ぶれない自分にもつながっている。



 まずは自分が今もっている物全てに感謝しよう。

 笑える自分。

 好きなところにいける自分。

 自由に表現できる自分。

 ・・・e.t.c.

 それらは当たり前のことではなく、
 それぞれが全て、
 奇跡の上に成り立っていることなのだから。

 食べる前には「おいしそう」
 遊ぶ前には「嬉しい」
 何かをする前には「楽しみ」

 そんな当たり前の言葉を思い描くだけでも、
 何かが変わっていく。

 そして最後に「ありがとう」

コメント

コメントの投稿















管理人にだけ表示する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/tb.php/252-79876867

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。