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幸せという名の満足感 

 天国で君に会えたらというドラマ、
 見た!

 嵐の二ノ宮君のやんわりした雰囲気があってた気がする。

 原作は二冊の小説らしいけど、
 結構いいお話だった。

 途中泣けたし。

 最近、
 映画やドラマを見て泣けることっていいな~って思うようになった。

 昔は見ながらなくなんて恥ずかしいと思ったりもしてたけど、
 泣けるってことは、
 ちゃんと感情移入できるってことだもんね。



 そう思えるようになったのは、
 感情移入ができない人がいると知ったからだった。

 人格障害や発達障害について調べていたとき、
 アスペルガーは感情移入ができず、
 ドラマや映画で泣いたりすることが困難だというのをはじめて知った。

 感情移入するには、
 ある程度情緒感情が豊かでないと難しい。

 小さい時にドラマや映画で泣くことがなくても、
 大人になってから泣けたりするのは、
 子供の頃の感情は発達途中だからで、
 大人になってから情緒が豊かになるから。

 自閉症アスペルガーという発達障害の場合、
 情緒感情が発達障害の影響なのか、
 少し人と違うから、
 他の人の気持ちが理解できないとか、
 自分の気持ちを理解してほしい気持ちが人一倍強いとか、
 感情移入できないといったものが目立ってでてくる。

 裏返せば、
 感情移入したくても「その気持ちが想像もできない」という人だということ。

 それを知ってから、
 ドラマを見て映画を見て、
 泣きたくなって泣けるってすばらしいことなんだって思った。



 天国で君に会えたらのドラマの中で、
 「がんばってくださいと言われると腹が立つ。
 がんばったってどうにもならないことがある。
 お前らにそれがわかるのか!」っていうシーンがあった。

 病気になった者の苦しみがわかるのかっ!てね。

 わかるはずもないのに「わかります。」と安易に言う人だったら殴りたくなるという心理描写。

 それを見たときに、
 「鬱の人にがんばってっていうと毒になる。」というのを思い出した。

 世の中には、
 「がんばれっていわれたら傷つくという人の気持ちが理解できない。」と感じる人がいる。

 「鬱にガンバレといっちゃダメなんだよ。」と言われても、
 「言った人の気持ちを理解できない鬱の人の方がおかしい。」と感じる人がいるのだ。



 感情移入ができなければ、
 他人の気持ちは理解できない。

 感情移入は、
 自分が似たような気持ちを味わったことがないと難しい。

 人は、
 自分が体験したことでないと実感できないものだから。



 「鬱にがんばってといっちゃいけないことが理解できない。」のは、
 言われると辛いという気持ちを感じたことがないか、
 発達障害などで人の気持ちを理解できない人・・・。



 アスペルガーは他人の気持ちが理解できない自分を理解できない障害ともいわれ、
 AD/HDは周りの人の気持ち(空気)に気がつかない障害ともいわれるらしい。

 アスペルガーは「自分が理解できないこと自体が理解できない」ので、
 感情を分かち合うことはかなり難しく、
 AD/HDは話して納得さえすれば感情をわかち合うことはできる。



 このドラマの中で、
 二宮君は精神科のカウンセリングを担当する医師。

 病気と闘う患者さんの心のケアをするのが仕事なのだけど、
 このカウンセリングルームにはルールがあった。

 ・自分からは声をかけない。

 ・自分からはカウンセリングに誘わない。



 相手が話したいことを抱えていても、
 他人から聞きだすようにしてはいけないのだとか。

 自分から言いたくなるまで、
 話したいと思うまでずっと見守り、
 ひたすら待ち続ける。

 そうしないと、
 本人の心の荷物を開放することはできないから。

 他人が誘導尋問のように話をリードしたら、
 本人の言葉でも、
 本人の意思でもなくなってしまうかもしれない。

 大事なのは本人が「そうしたいと思うこと」なんだって。



 このルールって、
 自分を変えようとしている人、
 誰かに変わってもらいたいと思っている人にも通じるし、
 立ち直ろうとしている人にも通じると思う。

 他人が良かれと思って手を差し伸べることが良くないこともある、と。

 自分で納得して自分で考えを見つけなければ、
 人は変われない。

 自分の力で立ち直ろうする力を信じて、
 そっと見守ること・・・。


 その大事さが伝わってくるドラマのような気がした。






 人が悲しんだり、悔しがったりしているときに、してあげられる最良のことは、一緒に悲しんだり、悔しがってあげることだ。

すぐに慰めたり、励ましたりすることはできないし(高ぶった感情って、理屈では収まりませんから…)、おおよその場合、その必要もない。

自力で立ち直るのが一番いいものね。

 マーケティング航海記-より




 聞きだすのではなく、
 ただ言いたいことを話すのをずっと待って、
 ただ聞くだけ。

 それが大事なこともある。

 意見を交換することは、
 相手が立ち直るのには、
 実は重要じゃない。

 相手が他人の意見を必要としていなければ、
 相手にとっては何にもならない。

 意見を交換するのは、
 相手が心の中に何を持っているのか、
 全てを出し切ってからでも遅くない。

 心の中の声を全て出し切って、
 心の中の毒を全て吐き出して、
 空っぽになった心にひとつづつ新しいものを入れていくのが良いね。

 毒のあるところにきれいなものを入れても、
 また少しづつ穢れてしまうかもしれないから。



 ただ相手の言いたいことを待って、
 心の声を全て聞くことが、
 相手の力を取り戻す最初の一歩になるのだとしたら・・・。



 心に荷物をかかえている人ほど、
 本音で話すことはできないもの。

 どこかに本音を出せる場所があるなら、
 それが一番いい。

 話してほしいなら、
 話してもらえる空気を自分が作らないと。

 相手が勝手に話してくれるのを期待するばかりでは、
 話す気にはならないかもしれない。

 自分が話したいのに話せる場所がないなら、
 自分で好きな場所を選んで作ることもできる。



 私は幸いにも、
 ブログでだせるようになった。

 これって究極の自己満足だと思うんだ。

 よく、
 自己満足を悪い意味に使われがちだけど、
 人は自分が満足するために何かをすることが多いのじゃないかと思う。

 「幸せをみつける」と言うのも、
 幸せを見つけて満足した気持ちになりたいから。

 幸せと思えるのは、
 究極の自己満足心。

 だから、
 食べたい物を食べるもの自己満足だし、
 遊びたいことを遊ぶのも自己満足だし、
 やりたいことをするのも自己満足。

 癒しを求めるのも自己満足だと思う。

 おいしいって満足したい、
 楽しいって満足したい、
 そして、
 癒されて幸せって自己満足を満喫したい、
 それが人じゃないかな。



 他人に対して自分を満足させてくれることを期待するのはよくないことかもしれないけど、
 自分が満足できることを自分自身の中に探すのは良いことだと思うんだ。

 幸せになりたいっていうのは、
 納得行く満足がしたいってことでもあるのだから。



 「自己満足」という言葉全てを悪いものとひっくるめてしまえば、
 視野が狭くなって自分が苦しくなる。

 白か黒かじゃないのだから、
 良い自己満足ならいいと思う。



 他人がすることを自己満足だと否定しても、
 誰の得にもならないし、
 誰も幸せにはならない。

 他人から満足したい気持ちを求められるのが迷惑だったなら、
 迷惑だと伝えるだけで事足りる。

 いろいろな意味で、
 他人のすることを自己満足だと否定する理由、
 あまりない気がする。



 自分の思い通りにならないことや、
 自分が気に入らないことを「あなたの自己満足」と否定的になる人もいるけれど、
 自分自身に対しての自己満足は幸せになるために必要なんじゃないだろうか。



 自分の言いたいことを出せる場所に、
 言いたいことを出せる幸せ・・・。

 私はブログというスペースに言いたいことを書き綴っているおかげで、
 幸せでいられる。

 本音を心置きなく出せる場所というのは大事なものだから。

 ウソや着飾ったことをいってても、
 結局自分の重石となって戻ってくる。

 自分にとって自分自身が素直でいることは、
 幸せには必要なこと。



 間違った自己満足の使い方にならないように注意すること、
 それだけだよね。



 自己満足は、
 他人への期待として使うものじゃなく、
 自分自身の幸せ感に対してするものだから。



 小さなことにも満足感がもてるのは、
 大きな何かを乗り越えたからこそ。



 「天国で~」のドラマ、
 「私の中のあなた」の映画、
 最近夜に見たドキュメンタリー映画には共通の内容があった。

 それは、
 「病気になって良かった。」という言葉。

 「天国で~」では病気になったからこそ大切なものに気づけ、
 「私の中の~」では病気になったかせこそ大切な人と出会え、
 ドキュメンタリーでは病気になって手を失ったからこそ今の自分になれたと。



 どんな状況でも、
 自分が気づくことがあり、
 それを受け止めることができれば納得できるし満足できる。

 病気で余命少ないことや四肢に不自由がでることを気の毒だと思う人は少なくないかもしれないけれど、
 それを経験した人にしかわからない気づきと満足感があるからこそ、
 「病気になってよかった。」という言葉が出せるのだと思った。



 他人を自分の思った通りに満足させたいと思うのではなく、
 自分自身を満足させよう。

 自分自身が満足感にあふれている人は、
 他人からみても素敵にみえる。



 「不自由と不幸はイコールじゃない。

  哀れに思われる理由はないよ。」

            - 鋼の錬金術師 -

 「泣くも笑うも結局は自分次第。

 誰にも止められない。」

            - トレーニング・デイ -

 「自分が何者かは能力では決まらん。

  何を選択するかじゃ。」

            - ハリー・ポッター -



 自分がたくさんの幸せを見つけられることを選択していこう。

 どれだけ自分を満足させてあげられるか、
 それが幸せへのカギだと思うから。

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