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愛すべき発達障害 

 時々テレビでいろいろな発達障害の人を特集していることがある。

 久しぶりにサヴァン症候群という自閉症の人を見た。

 映画「レインマン」のモデルになった人もサヴァン自閉症の人だったと思う。



 彼らの特異な能力を天才と呼ぶ人は多い反面、
 有名になったから認められたともいえる部分も多く、
 知れ渡る前はかなり奇人変人という扱いをされて理解されないことも多かったんだと思う。



 彼らのドキュメントを見ていると、
 今の自分が好きだという人も見られる。

 その特異な能力故に、
 他人とのコミュニケーションなどの能力が少なめなのかもしれない。

 それでも、
 自分を理解してくれる友人をちゃんと見つけて見守られながら幸せそうにしている彼らの姿は、
 とてもきらきらしているように見えた。 

 サヴァンの人を実際に見たことがない(と思う)のでよくわからないことも多いのだけど、
 同じ自閉症の分類にあるアスペルガー以上に、
 他人とのコミュニケーションの難しさがあるように感じた。

 サヴァンの人の方が自閉の率が高い感じがしたから。

 アスペルガーの人は、
 とりあえずコミュニケーションはとるが、
 それが全て「自分を理解してもらいたい願望」へのこだわりにつながっているような感じはあり、
 そこから縁が長続きできないことが多いように思うから、
 サヴァンの人よりはコミュニケーションにおいては有利な部分を持っているのかもしれない。

 アスペの人も、
 他人との距離感の相違など、
 コミュニケーション能力に障害がある場合が多いが、
 その分、
 記憶力や別の角度からの発送や拘りの強さから、
 特異まれな才能を発揮する人も多い。

 AD/HDは自閉症ではないものの、
 発達障害という点でさまざまな障害があることも多く、
 その分、
 別のことに秀でることも多い。



 発達障害という言葉から「不利」っぽい印象を持ってしまっているかもしれないが、
 自分の特性をきちんと理解できれば、
 類まれな能力を発揮する。

 偉人天才と言われた人に発達障害は多い。

 モーツァルトだってそうだし、
 ビル・ゲイツだってそうだし。

 大きな成功のカギを握る、
 「一般大衆とは違う一風変わった感じ方」を「与えられた」人たち。



 それに気づき自分で受け止め、
 発達障害ということをほこりに思える人たちは、
 本人も周りもとても幸せそうに見えた。



 発達障害は決して悪くない。

 ある一部の人たちにだけ与えられた特別なものをもっている。

 日本の発達障害のサイトや掲示板を見ていると、
 その生まれついた「障害」を憎み恨む言葉も多くみられるけど、
 それとは反対に、
 自分を受け入れて過ごす人はとても楽しそうにも見える。



 発達障害という言葉にこだわっている人や「障害」と思い込んでいる人には見えない何かが見えるのかな?

 幸せそうに生きる発達障害の人は、
 とても素敵に見えた。

 世界を楽しんでるようにも見える。



 たとえ発達障害だったとしても、
 自分を受け入れることができた人はみんな幸せそうで楽しそうで・・・。

 ホントに素敵だな~。

 そんな人を見ていると自分も楽しんで毎日過ごさなくちゃって思えてくる。

 発達障害が不幸とか、
 ACだから不幸なんていうのは単なる言い訳にしかならない。

 悪く考えようとしたらそうなってしまうのだから、
 不利な状況だと思っていたらそうなってしまう。

 人格障害にいたっては先天性ではなく、
 後付の考え方のゆがみだから、
 自分の考え方をほんのちょっと変えてみるだけで、
 自分のなりたい姿に近づいていける。




 ACだからこそ気づける何かがある。

 発達障害として生き辛さを感じたことがあるからわかるありがたさがある。

 それを何かに生かせたら、
 きっとみんな幸せ。



 自分ではどうにもならない過去の出来事を嘆いたり悔やんだり、
 確定しない未来を憂いたりしても何も変わらないし変えられない。

 自分がかえられるのは今このときからだけ。

 今からをより良くできるように考えたい。



 否定的な言葉ばかりの人や、
 言い訳ばかりで事実から目をそらしているばかりの人はちっとも魅力的じゃない。



 前向きって言葉は、
 自分を受け入れて幸せに過ごす発達障害の人たちにとても似合ってると思った。



 発達障害ってマイナスでも不利でもなく、
 ほかの人が持っていないものを持ってる素敵な個性の人なんだよね。

 それをありのまま受け入れられることって、
 素敵なことね。



 自分の運命を嘆くだけの人には魅力が感じられないけれど、
 ありのままの自分をそのまま受け止めて、
 恥じることなく生きる彼らが魅力的に思えることで、
 「発達障害」は悪いものではないどころか素敵な存在と言える。

 それは病気や障害を抱えた人、
 全てにも言える。

 その人次第。

 どんな状況でも。

 自分の人生だもの。



 アスペルガーの認知のゆがみの部分や人格障害の人はすぐに他人をこきおろしにかかるパターンが多くみられるけれど、
 特異なほど人と違った能力と独特の感性を見せていたサヴァンの人たちは、
 逆に他人をこきおろすことも自分をこきおろすこともなく、
 どこ吹く風でしなやかに自分のペースで時を送っているようだった。

 自分を持っている人は他人をこきおろす必要がないのと同じように、
 他人に引け目を感じることもない人たちは、
 他人をこきおろすこともないし、
 そんなこと考えてもみないのかもしれない。

 自分が劣ってるとかこうであるべきだという固定観念がないから・・・。

 一番自分を苦しくするものは、
 自分に対してのきつい縛り。



 他人をこきおろしてせっかくであった縁をぶち切ってしまう人は、
 他人に対する強い劣等感の裏返しなのかもしれない。

 自分が望む完璧なものなどないのに、
 自分が望むものを相手に押し付けて自ら破滅してゆく異常な間隔は、
 「距離感が近すぎる」という形で現れる。

 そんな生き方をする考え方は、
 発達障害やほかの弊害が何もなくても、
 きっとまた「言い訳」を探してしまうような気がする。



 発達障害があったとしても、
 自分が望むものを相手に必要以上に求めなければ、
 自分のペースでゆったりと幸せに包まれていられるのかな。

 強い要求は相手の個性を壊してしまう。



 発達障害という個性を認めて背伸びもせず、
 ゆったり生きる姿は「自分らしい」「あなたらしい」という言葉そのもの。

 自分を受け入れられるって、
 そんな相手を受け入れられるって、
 なんて素敵なことなのかな。



 その光景を見ただけで、
 暖かい気持ちになれた。



 なんでも「何かのせい」という言い訳にする理由を探すのはやめてしまおう。

 何かのせいにしたら、
 せっかくの幸せが減ってしまう。

 それよりも、
 どう生かそうかなって考えよう。



 自分では変えられない運命はケーキのスポンジのようなものだけど、
 その後のデコレーションは自分次第。

 スポンジもデコレーションも、
 どちらがかけてもおいしいケーキにはならないし、
 組み合わせ次第でおいしくもまずくもなる。

 クセのある味も、
 工夫をすれば病み付きにもなる。



 自分で自分にどんな素敵なデコレーションをしようかな?

 完成図(なりたい自分)を思い描いて、
 そこに近づけるようにひとつづつ楽しみながらデコレーションしよう。

 貴重な材料・高い材料を使ったからといって良いものができるわけじゃない。

 自分にあったもので自分をコーディネートしたいね。


 自分の中の人と違った部分を「欠点」と思いこんでしまうから、
 引け目を感じたり何かのせいにしたり卑屈になったりする。

 食べ物だって人によって好き嫌いがわかれるのだから、
 世の中の全員が好きな人・全員に嫌われてる人なんていない。



 「欠点」じゃなくて全てが大事な自分の「個性」。

 人とは違った「大事な大事な個性」

 他人の「欠点と思った」部分を「そんなの個性じゃない」と言っていた人がいたけど、
 「欠点」だと思いこんでるから「個性」だと認められないんだよね。

 それは他人に対しても自分に対しても同じこと。



 気が短い人だと思っても、
 気が短いのは時間を大切にしてムダにしたくないと思っているのかも、
 と思いなおしてみる。

 そんな感じに考えを変換していけば、
 欠点だって個性になる。



 幸せそうな発達障害とその理解者の人たち、
 それは、
 自分にあった個性を身につけた人とそう受け止めた人たちなのかもしれない。

 なんて素敵な人たち♪



 どんな人だって自分を受け止めてくれる人は必ず現れる。

 自分自身がありのままの自分を受け止めて、
 自分を受け止めようとしてくれる存在を認めさえすれば、きっとね。

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