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誰にでも存在する「インナーチャイルド」という「もう一人の自分」 

 自分がACであると気づいた時に知った言葉があった。

 「インナーチャイルド」という「もう一人の自分」。

 ACは心の中が「子供の頃に置き去りにされたままの精神状態」だと言われているので、
 (考え方や中身が子供っぽいということではない)
 ACから脱するためには、
 自分の中のインナーチャイルドを育てなおす必要がある。

 ACとは要するに、
 子供の時に満たされるはずの「愛情」が不足したまま大人になってしまって、
 その結果、
 「大人としての自分が持つべき愛情がおかしくなっている」状態。

 子供時代に自分が愛されている安心感を得られなかったため、
 常に自分が誰かに愛される価値があるのか不安で、
 自分自身に愛する価値があるのか不安で、
 その結果、
 他人の評価から自分への愛情を見出そうとしたりしてしまう誤った考え方になってしまうこと。

 だからボーダーなどになったり、
 ボーダーのターゲットになって自分が愛されていると思い込もうとしたりしてしまう。

 自分で自分が愛せない状態なんだよね。

 だから、
 まずは自分で自分を愛せるように、
 自分を育てなおす必要がある。

 それは心の中のもう一人自分。



 ここで思ったことがあった。

 ACが心の中の自分を育てなおした時、
 自分の中の「もう一人の自分」はどうなっちゃうのかなと。

 消えちゃうの?
 それとも、
 今の自分と合併するの?

 そう思ったとき、
 自分を受け止めて認めることの意味が理解できた。



 ACではなくても、
 誰の中にも「もう一人の自分」という存在がある。

 その存在は、
 「潜在意識」という名の自分だと言い換えたらわかりやすいのかもしれない。

 潜在意識は、
 自分が無意識の時の自分を司っている。

 だから「もう一人の自分」

 二重人格とかではなく、
 自分は、
 「意識のある普段の自分」と、
 「無意識の自分」の両方があって初めて「自分自身」といえるのだと思った。

 ACの「もう一人の自分」は、
 無意識に子供の時に足りなかった愛情を求めている自分ということだから、
 ACでない人の中の「もう一人の自分」もちゃんと別の形の無意識として存在している。

 

 ACでなくても、
 自分に自信がもてないときがある。

 「自分に自信を求めている無意識の自分」が「もう一人の自分」だった場合、
 そんな意識を気づいてほしい無意識という自分がいることになる。



 前の絶望に飲まれた時ほど見つけてもらいたがっている存在がある で書いた「気づかれたいと思っている存在が、
 この「もう一人の無意識という自分」だと思う。

 死にたい気持ちになっても、
 何かを投げ出したくなっても、
 無意識の自分は本当は生きていたいと思っているし、
 まだがんばりたいと思っているから、
 葛藤するのだと思う。

 本気で死んだほうが良いって無意識でも思っていたら、
 悩まず何も考えずすぱっと実行するよね。

 悩んだり苦しんだりむするのは、
 無意識のもう一人の自分の本音が葛藤しているから。

 悩んだり苦しんだりした時は、
 「もう一人の自分」のことを思い出そう。

 それが「自分からの気づきのメッセージ」なんだと思う。

 無意識はいつも忠実に思ったようにしていく。

 悪いことばかり考えていたら、
 そんな自分にしてしまう。

 よいことばかり考えている人は、
 無意識でも普段からそんな人になる。

 しかし、
 死にたいと願う人が無意識に死ぬことは少ないのは、
 いつもは素直に思った通りの自分を導く無意識の自分だけど、
 その時ばかりは対抗しているのかもしれない。

 ずっと自分と一緒にいて、
 自分を見守り続けている「もう一人の自分」。

 それが自分の中の「インナーチャイルド」という「自分」。



 自分に自信をなくしている人を見ていると、
 共通点が見えてくる。

 「無意識の自分」を意識していないことが多いという共通点。

 それは、
 「自分のことは自分が一番わかっている。」という言葉で表現されることが多い。

 実際を考えると、
 「他人からみた自分」と「自分からみた自分」のギャップがない人がいないように思う。

 それは、
 他人からじゃないと見えにくい、
 『本人が気づいてない無意識の姿』が見えているかどうかの差なんじゃないだろうか。

 「自分のことは自分が一番わかっている」と思っている人ほど、
 自分の意識が全てをわかっていると思っている用な感じがするけど、
 無意識は「自分では意識できない」から無意識といわれているという根本を忘れている気がする。



 誰の中にも「もう一人の自分がいる」んだよ。

 だから一人にはならないし、
 自分の全てを理解することは出来ない。

 だけど、
 意識的に思うことで、
 無意識の自分に伝えることは出来る。

 一人ぼっちなんていってしまったら、
 「もう一人の自分」の存在を無視することになるから、
 当然自信はもてない。

 一人ぼっちといって、
 自分を否定してしまっているのだから・・・。



 一人じゃないから自信が出てくる。



 それが実態を持った別の人なのか、
 自分の中の「見えない自分」なのか、
 区別してこだわる必要なんてないと思うんだ。

 いつもどこでも一人じゃない。

 こうして思ったり考えたりしていることを、
 常にそっと見守って受け止めている「無意識という自分」がいるのだから。



 人格障害的考え方の人は、
 自分を認めてくれる「どこかの第三者」の存在にだけこだわり続けているから、
 自分に自信が持てないし、
 自分が見えないんだと思う。

 自分が見えない、
 自分がわからないというのは、
 無意識の自分の存在が「わからない」からかもしれない。



 自分を認めて受け止めることは、
 無意識の自分という存在を認めることなんだと思う。

 それは、
 自分が知らない自分を認めることであり、
 自分の全てを受け止めることなのかもしれない。



 「自分に感謝しよう。」

 いつも自分を導いてくれる「もう一人の自分」に。



 いつも見守ってくれてありがとう。

 いつも一緒にいてくれてありがとう。

 自分は一人じゃない!!

 だから、
 何があっても簡単にあきらめなくていいんだよ。

 まだまだがんばれる。



 見つけてもらいたがっている「幸せ」とは、
 「幸せを探して幸せになりたいと思っている自分自信の心」そのものなのだから。

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