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紙一重のあやうさ~人格障害が苦手なタイプ 

 私は人格障害的な考え方を徹底的に知ることで、
 その対極にある幸せを感じられる考え方に近づけたらいいなと思って、
 人格障害的な考え方を調べ続けている。

 あるメルマガにも、
 「良いものばかりをみていると目がこえてくるのと同様に、
 悪いものばかりにふれていると悪いものには敏感に気づけるようになる。
 どちらかを見る目が敏感になると、
 必然的にその反対にあたる良いもの/悪いものの見分けもつくようになるから、
 目をこやしたい時まずは、
 良いものを見抜く目か、
 悪いものを見抜く目を養えばよい。」とあった。

 私としては、
 考え方のゆがみの根本を知ることで、
 自分を修正することができ、
 負の考え方を徹底的に気をつけることは、
 対極にある幸せな考え方に結びつくと思っている。

 現に、
 反面教師的に気づくことは多かった。

 自分では受け入れにくくても、
 第三者的な見方を通して考えた時、
 受け入れやすいから。



 そんな中で、
 考え方のゆがみにある特徴のひとつに気づいたことがあった。

 ゆがみのある考え方というものは、
 良い考えだと思う、正論だと思えるような考え方と紙一重的な考え方であることが多々見られるということ。

 正確に表現したら、
 正論や一般論を盾に「自分もついでに正論を装う」擬似正論な考え方を展開していることが多いってことかな。

 金メッキをほどこして、
 本物の金に見せようとしている状態といえるかもしれない。



 確かにボーダーや自己愛的な人の価値観には、
 常識にこだわる、
 公務員だと信頼する、
 ニュースはNHKが一番正しいと思っている、
 などの「ブランド好き」な人が多いように思うのは、
 中身ではなく、
 「○○だったら大丈夫」という根拠のないこだわりの強さが感じられる。

 良いものはブランドものが多いのではなく、
 ブランドだから良いものに違いないってね。

 近いものに、
 値段が高いからいい物に違いないという思い込みもある。



 自分で納得して価値を見出していないと、
 根拠があいまいな価値観でしかない。

 根拠がないから、
 表面的な良いか悪いかだけにこだわりたがる傾向が強い気がする。

 そのため極端になると、
 「白か黒か」
 「0か100か」になってしまう。



 ボーダー的考え方に振り回されると、
 どちらが正しいのかと言う問題に巻き込まれ、
 「あなたが間違っている」というこきおろしをされてへこむというパターンになるのは、
 自分を正当化したいことからくる白黒思考が根底にあるからだと気づいた。

 どっちが正しいという問題ではなくても、
 なぜか白か黒かになって決着をつけたい(相手が間違っていると思いたい)のが人格障害的考え方だから。



 その考え方をしている人が、
 本当の人格障害でも、
 人格障害でない人でも関係はない。

 そういう考え方をしている部分があること自体に問題がある。

 しかし、
 ボーダーや自己愛的な考え方の強い人は、
 「相手が人格障害かどうか」といったことや、
 「境界例か人格障害か」といった呼び名の細かいことばかりにこだわっていることが見られる。

 相手が自己愛なら自分は違う、
 相手が自己愛なら自分は間違ってない、
 というような発想も、
 白黒思考から「どちらなのか」と決めてしまいたいからなのかもしれない。

 「そういう考え方をしている部分があるか否か中身の考え方の問題」であって、
 呼び名や相手が人格障害者かどうかといった表面的なことは問題じゃないことは認識したがらないような気さえする。


 そんな考え方の持ち主は、
 自分の意見が正論だと主張して同調を得ようとしたがる傾向が強いため、
 正論や一般常識や偉人の言葉を借りてきて屁理屈にするので、
 正しい意見と紙一重になって見分けが難しいことが多い。

 考えにゆがみがあるパターンの理論展開をする人は、
 「自分は常に正しい、それ以外は全て間違っている」という考えの展開がパターンで、
 自分の意見がいかに正しいかを後付で「正しい」ようにカモフラージュしていくから、
 自分がない人や意思の弱い人は押し切られたり丸めこまれる展開なんだと理解できる。

 そのために常識や一般論を都合よく振りかざして納得させようとし、
 それでも同調しない相手には、
 「こきおろし」や「人格否定」をして相手を崩しにかかる。

 「人は人、自分は自分」という言葉も、
 他人の意見を自分にとったら「異論」と感じる部分について、
 「人は人なんだから自分とは違う意見をするな」という受け止め方をし、
 自分を認めていないと思う相手に対して「人は人なんだから自分の個性を認めろ」と押し切るような使い方をする。

 本来は、
 「相手が自分と違ってても自分が相手と違っててもまぁいっか」と、
 「自分」が納得するための言葉なのだと思うのだけど、
 金メッキ的な考え方になると、
 「自分を正当化させて相手を責める」ようなパターンになる。

 だから、
 一見理にかなったことを言ってるように聞こえるのかもしれない。

 正当性のありそうな「常識」や「偉人の言葉」「名言」など、
 言葉を借りて後付理論に使うだけなので、
 自身が納得して使っているのとは違うために、
 時折具間見える「矛盾や違和感」が感じられることが多い。

 それに気づかないと、
 相手のすりかえ理論に引き込まれる結果がまっている。



 引き込まれないためには、
 それらと関わりの薄い自分になるしかない。

 言い換えれば、
 負の考え方に汚染されない自分を持つしかないってことになる。



 ターゲットになりにくいタイプの人というのがあるので、
 どんな人なんだろうと思って考えていた。

 それがまた、
 自分中心な人と紙一重に見える。

 考え方のゆがみがある人は、
 根本が「とにかく自分が理解されたい・認められたい・・・」という視野なので、
 表面的には「相手のため」「あなたのため」といいつつ、
 「自分の言うとおりにしようと支配したい」と思っている、
 一見するだけではわかりにくい自己愛タイプも多い。

 ターゲットになりにくい考え方の人というのは、
 一見「自分さえよければ」的にも見える、
 「人は人、自分は自分」タイプの人ということになり、
 むやみやたらと「人のために」という言葉を使わない人。

 困っていそうな人がいても自分からは首をつっこまない人。

 それは、
 「相手のために」という意思から他人にむやみに手をさしのべたり、
 困った人を助けたいという意思から他人の困りごと相談にのったりはしない、
 面倒見がいい「姉さんタイプ」とは正反対な感じのタイプが多いように思った。



 この手のタイプの人は、
 困っている感をかもし出して「同情」「共感」「興味をひく」といったクセのある人格障害的考え方の人を近づけにくい。

 「困っていることがあるなら聞くよ」とボランティア的に自分から相談にのるのは、
 「自分を認めてほしい」と願い続けるかまってチャンを引き込む、
 または、
 かまってチャンに手招きされている状態になる。



 「あなたのために」と思って自分から他人の問題に首つっこむ人は、
 相手に何かをする場合も、
 「こうしたほうがあなたのためだから」という気持ちが強いことが多い。、

 自分からむやみに手を出すこともなく相手に話しをふられたから返答するという人は、
 困っている人に何かを言うときも相手のためのアドバイスではなく、
 あくまでも「自分の思っていることを感想を述べるように」言うだけ。

 この二つは一見して似ているけれど、
 「自分の思ったことを言うだけ」なのか、
 「自分の意見で相手の状態をなんとかしようと思っている」のかの違いがあり、
 似て非なるもの。

 自分の意見をいっているだけの場合、
 相手のために言ってるという感情がない分、
 相手が感情的になってもふりまわされにくくなるが、
 「相手のため」と思っていると、
 意見の押し付けにもなりうるし、
 相手が自分の言動の影響で変化することに期待も混ざっている分、
 感情的になりやすいのかもしれない。



 自分から「無償カウンセラー」的に他人の問題に首を突っ込まない人は、
 困っている人がいたとしても特定されない不特定多数の誰かのために、
 自分ができる範囲のことを自分が思いつける範囲で当たり前的にやる人が多く、
 「誰かのため」という発想が少ないのかもしれない。

 「自分から首をつっこまない」ため、
 一見すると見て見ぬフリにも見えることがあるけど、
 自分なりに考えて自分なりに当たり前に行動をするため、
 相手の「期待通りにしてほしい」という思惑にはつかまりにくくなる。

 これらは、
 自分の意思や価値観がはっきりあるからとれる対応。

 こきおろされても反応しなくてすむのも、
 自分の視点がずれないから。

 人格障害的な考え方だと、
 怒らせたりこきおろしたりして他人の感情をコントロールして相手をふりまわす操作になるため、
 自分自身がコントロールしにくい負の感情を出してしまうと、
 相手の操作にひっかかってしまい一番危ない。



 これらを考えると、
 ぶれない自分というものは、
 一見すると初対面では「いい人」といわれないタイプで、
 相手の顔色を気にすることなく最初から自分の意見をはっきり言える人ということ。

 一歩間違えると、
 クセのある人とみられるかもしれない。



 人格障害的考え方の本質は、
 自分の考えが正しいことを他人に同意を得ることで納得し、
 他人に認められた自分を「正しい」と認識しようとする。

 他人の評価を気にするから「良い人に思われたい」ものが強く、
 結果的に他人に評価してもらった「自分」を自分が認めるしかないように見える。

 自分がある人は、
 自分を認められるから他人にも認められることを知っている人。

 他人の評価にすがらないから人にどう思われても自分を貫き、
 他人はその一貫した姿勢を個性として評価して認めてくれる。



 以前関わった人が、
 「まずは自分から」という言葉をよく使っていた。

 「まずは自分が他人に理解してほしい」という意味だった。

 「まずは自分が相手に理解されたら相手を理解する。
 ひかれたらその人とはそれまで。」と言っていた。

 本来なら、
 「まずは自分が他人を理解しよう。
 その後自分を理解してもらおう。」という言い方の方が適切だと思う。

 「まずは自分から」の捕らえ方が違うのだなぁと思ったことだった。


 考え方の順番が違うから、
 「認知にゆがみがある」といわれるのかもしれない。

 途中の順番が違うから、
 似ていて非なるもので、
 紙一重で見分けがつきにくいものになるのかもしれない。



 人格障害の人は初対面時は特に、
 いい人そうで人をとにかく美化してほめるため印象が良い反面、
 自分を持っている人は必要以上にこびへつらうことが少ないから無愛想的に思われることもある。

 そういった表面的なことだけでいい人悪い人と見ると、
 本当はあわない考え方の人を引き寄せてふりまわされる結果になる。

 その紙一重的な理論展開やあやふやさをじっくり見極めるためにも、
 軸のしっかりした自分が必要なんだ。



 常識が大好きな人、杓子定規な人、学歴やブランド大好きな人(NHK信者とか公務員信者とか)、トラの威を借る狐なタイプは要注意。

 何かの力を借りたがる傾向ということ。

 面倒見の良い人、
 人がいいといわれる人、
 姉さんタイプといわれる人は、
 そんな相手に振り回される可能性が高く、
 同時に、
 ボーダー的な考え方のかまってちゃんの場合も多い。

 人に遠慮をしているとふりまわされてしまうきっかけを作っていることにもなる。

 相手の顔色を見るのはほどほどに、
 自分の意思をきちんと伝えられるようでありたい。

 NOと言う人。
 何が正しいと言い切らず「最終的にあなたが決める問題」と相手に投げ返してしまう、
 一見投げやりに思える対応をする人。
 他人の意見にふりまわされずに「人は人だから同じじゃなくてもいいんじゃない?」と受け流してしまう人。
 感情的にならないマイペースな人。

 こんな感じの人は、
 人格障害の人が苦手なタイプであることが多いらしい。

 まるで合気道の達人のごとく、
 ふわふわつかみどころがないような、
 流れる水のような人。



 そんな自分になることと同時に、
 自分にとったら負ではない気づきのきっかけを与えてくれる人の意見を聞き逃さないようにしていたい。

 そのために自分の受け止め方をしっかりとた、
 水のような人を目指そう。

 金メッキの考え方ではなく、
 自分が納得して根拠を持てる考え方目指して・・・。



 自分の意見をはっきり言うと相手に嫌われるかも、
 不愉快にさせちゃうかもなんて「負」の想像で遠慮をしていたら、
 「はっきり言われたら不愉快にしかならない」相手しか引き寄せられない。

 自分がはっきり言わないでいると、
 あやふやに都合よくしかならない人ばかりと縁が出来てしまう。

 「はっきり言ってくれる人の方が信頼できる」と言ってもらえる、
 裏表や計算のない人を引き寄せられるように、
 自分はそんな人でいたい。

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