スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

意味のある一致という名の共時性 

 最近よく「シンクロニシティ」という言葉を見かけるので、
 シンクロニシティについて考える機会がよくある。

 シンクロニシティというよりも、
 「~とシンクロする」という言い方のほうが自分的にはなじみが深い言葉。



 シンクロニシティについては、
 考え方のサイト・心理学のサイト・自己啓発のサイト・精神科関係サイトなどの多くのサイトで、
 シンクロニシティについて度々でてくる。

 シンクロニシティは、
 偶然の一致ではなく、
 意味のある一致=共時性。

 なるべくしてなった、
 起こるべくしてなった一致といえるのかもしれない。



 「やってみよう」「やめておこう」どちらを選んでも、
 その選択自体には良いも悪いもない。

 自分が選択したことは「自分にとっては常に意味があり正しい」ということだけ。

 どんなに心に迷いがあっても「やる」と選択したとき、
 意識ではそのことを忘れてしまっていても、
 潜在意識はそれを忘れていない。

 無意識の力によって、
 やろうと思ったことを実現させるために必要なことが、
 実現のための必要条件が少しづつ整えられてくる。

 「シンクロニシティ」が頻繁に起こっていることに気づく。
 
 「やめておこう」を選択すると同じように潜在意識の引き寄せによって、
 「やっぱりやめておいたほうが正解だった」と思えることが沢山起きる。

 どちらの選択をしても、
 自分には最適と思える選択肢なんだって。

 ただ、
 その「シンクロニシティ」に気づくか気づかないかで、
 その「最適な選択」にできるかどうかが変わってくる。

 自分の「選択」は必ず選択した通りの結果を人にもたらしているが、
 そのことに気づくか気づかないかで体感することは大きく変わってしまう。

 自分は常に「最適」な選択をしている。

 捨てる自分も拾う自分もどちらも正しい。

 やめる自分もやる自分もどちらも正しい。

 最終的に「正しかった」という結果をその中から導き出せるのは、
 すべて自分の行動のたまもの。

 それが自己責任であり、
 自分=自分の選択した結果を受け入れるということなのかもしれない。

 別れを選ぶことも、
 やめることも、
 出会って縁をつなぐことも、
 やってみることも、
 全てが正しく、
 全てが自分のためになるんだね。

 自分にとって最善の結果だということに気づいたか気づいていないかただそれだけの違い・・・。

 自分の生き様だから、
 他人と比較して「運がいい」「運が悪い」といっても意味が薄い。

 自分の今までの生き様とこれからの生き様を比較して、
 より良いと思える方を選択していたいな。

 自分の行動の結果を、
 「最悪」だと受け止めるのも、
 「悔いなし」だと受け止めるのも、
 全部自分次第。

 どんな受け止め方をしたら、
 自分にとって最適にできるかな。

コメント

コメントの投稿















管理人にだけ表示する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sunnyplacejena.blog105.fc2.com/tb.php/215-0778013f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。