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ボーダーが認知障害である所以 

 自分が嫌いな人のことってなんだろうと考えていてふと思いついたことがあった。

 ボーダーと呼ばれる境界性パーソナリティ(人格)障害は、
 大概「自分が嫌い」である。

 というか、
 自分が嫌いで自分に自信がなくて、
 それ故に自分の居場所がないといつも感じていて、
 自分の思い通りにならない周囲の環境が悪いと他者のせいにして嘆き続けて、
 自分に自信がない故に他者が自分の悪口を言っていると常に意識する、
 それがボーダーのもつ認知障害の症状のひとつ。



 人は「無意識という名の潜在意識」に支配されていることがとても多い。

 潜在意識は自分ではコントロールしにくく気づきにくい、
 だから無意識。

 文字通り意識のないところで動く心の動き。



 人は関心のないことは心に残らない。

 「愛の反対は無関心」だとマザー・テレサも言っている通り、
 好きの反対は嫌いではなく「無関心」。

 好きなことは心に残っても「好き」だから嬉しいし、
 「好き」だからマネしても「嬉しい」

 無関心なことは「関心がない」「どうでもいい」から気にならないし、
 心にも残らない。

 だからマネしたくても出来ないし、
 存在自体が記憶に残らないことも多い。

 やっかいなのは「嫌い」と思うこと。

 「嫌い」という意識が心を支配しているから、
 常に「嫌い嫌い」と頭の中は考えていて心の中から出て行かない。

 その「○○が嫌い」と考えることで、
 心は常に「○○が嫌い」の気持ちでいっぱいになり、
 相手の嫌いな部分を自分に取り込んで無意識に「○○」をマネしてしまう。



 ボーダーの人は人をほめる事はあまりない。

 ボーダーが人をほめるのは、
 自分に関心を向けさせるために「ほめる」場合が多く、
 心の中からほめることは少ないといわれる。

 心の中はほめていないが、
 「自分に賛同してくれそうな考えり持ち主」だと感じたり、
 「自分に味方してくれそうな人」だと想ったり、
 「自分が依存するのに都合がいい人」
 「自分の存在を認めてくれそうな人」だと思ったときに気持ち悪いくらいほめたりする。

 でもそれは本心じゃなく自分のために相手をふりまわしたいいから。

 それ以外は常に「何かに嘆いていることが多い」。

 自分の思い通りにしたいのがボーダーの基本仕様だから、
 思い通りにならないとひたすら嘆いている。

 誰かが悪い、世の中が悪いと、悪いことばかりこれでもかと探し続ける。

 不思議なことにボーダーというのは、良い部分を見ようとはしない。

 それを思い出して気がついた。

 ボーダーは常に「悪い部分ばかり見て文句を言っている」。

 それは無意識に「悪い部分を自分にとりこんでいる」ことと同じ。

 自分が嫌だと思っていることを潜在意識がマネをしていることと同じ。

 ボーダーは絶対にそのことを認めたがらないが、
 文句ばかり言っていたら自分も「それ」と同じになっていくので、
 自分がどんどん嫌いになっていくのは当たり前だとも言える。

 それが証拠にボーダーは文句を言うわりに、
 自分からはそれを改善しようとしないんだよね。

 だから悪いことを吸収していくだけになる。

 自分で「大嫌いな自分」を作り上げていると言えるのかもしれない。



 大人だって子供に、
 「良いことをマネしなさい」って教えるもの。

 「悪いことを無意識にマネ」していたら、
 いつまでたっても良いと思える自分にはならない。

 自分で毒をためこんで毒壺のようになっておいて、
 「居場所がない」「自分が嫌い」と自己否定に走る。

 周りの人が居場所を作ってくれたり、
 そんなことないよと肯定してくれることを望み続けるだけの、
 精神科医の先生たちがいうところの「尻拭いは周りの人にさせる」。



 だから、ボーダーになってしまうんだね。

 ボーダーや人格障害にならないためには、
 悪いことばかりに文句を言い続けるクセをつけないこと、
 ボーダーから立ち直るためにも、
 悪いことより良いことを探すクセをつけること、
 それが必須ってことになる。

 ボーダーには白(良い部分)と黒(悪い部分)しかなくて、
 黒ばかりにかたよって注目してばかりいるから、
 認知障害と呼ばれるんだね。



 他者も自分も悪いことは心にとめず、
 良いことをなるべく探すようにしたいね。

コメント

良いブログだと思います

はじめまして。

よくご自分のことを分析されている良いブログを発見でき嬉しいです。

私も20歳くらいまではボダっぽかったように思います。
貴方様のブログの内容には、納得できることばかりです。

今もボダっぽさがあらわれます。

自分が嫌いで自分に自信がなくて、
 >それ故に自分の居場所がないといつも感じていて、
 自分の思い通りにならない周囲の環境が悪いと他者のせいにして嘆き続けて、
 自分に自信がない故に他者が自分の悪口を言っていると常に意識する、



この部分はあてはまりますが、配偶者が自己愛君の場合、10回の外食や遊びのうち、10回とも自分の行きたいところに決めてしまう相手だと、不満なのは当然なのではないでしょうか?
それを、モンクばかりだといわれております。

今はもう諦めていますが、以前はいつも欲求不満でした。
傍からみれば、沖縄やグアムに行けて
何が不満なのか。と思われ、私が我がまま。ということになってしまいます。

泣いても騒いでも最後には夫の思い通りになるので、無気力降参状態です。

貴方様は真のボダに見えません。


>ほた子さん

 コメントを頂きありがとうございます^ ^

 私は自分が真のボーダーなのかを突き詰めることは、私にとっては重要ではないと思っています。
 事実として「自分にはボーダーと共通した気質があった」と受け止めることで十分だと思います。
 ボーダー気質があるなら、それと向き合うことの方が重要だと思っています。

 私自身のことをお話すれば、父が自己愛でありその影響を受けて育った結果ACになり、そのために自分で引き寄せたのか、去年はじめまで自己愛気の人に振り回され続けました。
 結果的にこきおろされて、自我が壊れてしまい、修正しようと今に至ります。

 そのことからボーダーや自己愛という認知障害を知り、そこに気をつけることで心の健康を保つことが出来るのではということに気づきました。
 同時に自分の悪い部分と向き合いながら修正することが出来たらと思っています。
 認知障害について知ることは、常に自分と向き合い、認知障害を回避することにもなると思っています。



 配偶者様が行きたいところをお決めになるということで不満がおありのようですが、「今回は別のところに行くから、次回に行く楽しみが出来た」と思われたら、実際に行けた時の嬉しさは数倍になってきっと素敵なのではないかと思います。
 きっと、今行くよりも後々行くほうが「良い買物」や「良い出会い」などがあるから今は行かないような運になっているのだと思います。

 私も思ったとおりにいかない時は、「次回の楽しみ」「今はするべきタイミングじゃないんだな~」と思うようにしています。



 本当の自己愛性の人は、身内には何一つしません。
 他人に対して「よく思われたい」のが本質なので、よく思われなくてもいい身内には何もないのです。
 家族旅行であっても、なぜか他人を呼んだり連れきたりし、他人のためだけにお金を使います。
 他人の入らない旅行をしたことがないので、家族だけで純粋に旅行が出来たらさぞかしいいだろうと思って過ごしていました。

 家族だけの純粋な旅行ができるのは、とても幸せなことだと思いうらやましいです。



 良い運を引き寄せるのは自分自身の考え方だと思います。

 めげそうになることがあっても、元気を失わずに過ごして行けたらきっと幸せでいられますね。

 ほた子さんが心穏やかに幸せにいられますように・・・。

子供のころは、家族旅行をする金銭的余裕がありませんでした。

配偶者のためにも他人のためにも何もしない自己愛君がいることもお忘れなく。
次回も夫の行きたい所になることは確実ですし、私の行きたい所なら、旅行自体が取りやめになります。

かといって、妻が1人で出かけることは嫌がりますから、私が行きたいところに行くなら、離婚しか方法はありません。でも、そこまでして自分のしたいことを通すほど我儘でもないし、メリットもありません。

私が諦めさえすればお金もちでいられるからです。
やがて老人になり、お金の無い老婆はみんなの厄介者です。
大丈夫ですよ。
私は我儘ではありません。私が間違っていないことだけ確信できさえすれば平安でいられますから。
私が男だったら、多くのばあい、妻の行きたいところに行ってあげると思います。

>ほた子さん

 私は子供の頃、家族旅行が出来るほど裕福だったわけではありません。
 他人にいい顔をしたいが故に、ないお金を借金してつくり、身の丈に合わない宿をとり、「いいお父さん、いいご主人、いい人」を演じたがるるのが自己愛性人格障害の父です。

 そのため周りの人間に借金や負担がのしかかるので、本人はおかまいなしに涼しい顔をしつづけるのです。



 行きたい場所には決して行かせてもらえない旅行と、
 いらないもの・食べないものだけしかもらえないことは、
 本質はそんなに変わらないかもしれないと思いました。

 どちらも、相手が望まないことを平気で押し付け、第三者には幸せだと思われるが本人は不満だらけだという部分が・・・。

 それでも、全く何もしてくれないよりは全然いいと思えば、何もないよりは幸せだと思います。



 私がここでいう自己愛とは、「自己愛性の人格障害」という性質についてなので、「人格障害にまでいたらない単なる自己愛」という性格の場合はまた違うのかもしれません。

 自己愛と自己中は違います。
 自己愛は「他人から最大の評価を得るためだけを考え続けているため、良い評価を得ることに対してのみ、他人に対してなんでもする」
 自己中は「自分さえよければ他人にどう思われてもいいので他人に対しては何もしない」

 自己愛性人格障害だけでなく、アスペルガーやAD/HDのジャイアンタイプの場合を考慮するといろいろな自己愛タイプがあるとは思います。
 アスペルガーの自己愛の場合は、こちらが何を言っても全く通じず、我が道しかないのが基本仕様なのでそういう人だと思う他はないですし。

 人は何かを得るためには何かを手放す必要があります。
 お金があって何度も旅行にいけるものの好きなところに行けないことと、
 お金がなくて一生に一度しか行けない旅行に好きなところに行くのと、
 どちらが良くどちらが悪いと言えるうちは幸せなのかもしれません。

 お金がなかったらどこかに旅行に行くことは叶わず、
 どこでもいいから旅行に行けたらと思うものなのかもしれませんね。



 人は、
 自分が間違っていないことを確信することより、
 自分の間違いを受け入れることのほうが遥かに難しいものです。



> 私は我儘ではありません。私が間違っていないことだけ確信できさえすれば平安でいられますから。

 という一文がひっかかりました。

 我ままな方だと書いたことは一度もありませんが、ほた子さんご自身がこの言葉にひどくこだわっているように感じます。
 間違っていないと必死に思い込もうとしているような、気質の激しさも・・・。

 言葉にこだわりすぎると徐々に激しさを増してボーダー的になってしまうこともあります。

 我ままでもいいんじゃないでしょうか?我ままは悪いことなのでしょうか?
 必ずしも悪いとはいいきれないと思います。

 ただ、誰かに「我ままだ。」と言われるのだとしたら、
 そう思わせる要因を自分自身が作り出していることを受け止める必要はあるとは思います。

 何を我ままというのかは人それぞれです。
 我ままが悪いのではなく、どう受け止めるかの方が大事だと思います。


 全体的な部分から、
 自分の辛さをわかってもらいたい、相手に変わってもらいたいという気持ちがあるように感じました。
 自分は悪くない、わがままなのはむしろ相手の方だとわかってほしいと。

 人を変えることはできないですが、反して相手が自分の望み通りになるように期待を持てば、自分を苦しくすることにもなりかねます。

 自分が諦めなくてもいい別の考え方を身につけたほうが,
 平安でいられる、諦めるという発想もしなくてすむと思います。

 お金がなくて旅行にもいけないけれど毎日が幸せです、って言える人だってたくさんいますものね。

お返事有難うございます。

>お金がなかったらどこかに旅行に行くことは叶わず、
 どこでもいいから旅行に行けたらと思うものなのかもしれませんね。

昔、旅行に行ったことが無くても満足でした。何故なら私は旅行が嫌いだから。

お金があるのに自分のものばかり買って、生活費はきっちりしかくれなくて、私が数千円のささやかなものを
買うと機嫌が悪いのです。
全て書かなけれればわかりませんよね。夫婦間で貧富の差があるのです。
私も仕事しているのに。
小さいことも全て夫の思い通り。
自己愛人格障害の9つ全てに当てはまっていました。

ネットでけんかしてどうするんでしょうね。友人に夫の全てを話すわけにいかないから、どうしても表面だけみられてしまいます。

毎日不幸なんて書いてません。
自分の欲求を引っ込めれば全てうまくいくという結論に達しただけです。

勝手に入り込んできて不愉快にさせてごめんなさい。私は欝でもなんでもなく、夫もまじめです。

ごく普通の亭主関白夫婦の愚痴です。







>ほた子さん

 う~ん、少し思い込みが激しいところがおありですか?

 私はほた子さんが不幸だとも思ってないですし、
 書き込みで不愉快になったとも思っていないです。

 ましてや書いてもいないのですが・・・?

 ネットで喧嘩?だれとだれが喧嘩したのですか?

 少なくとも私はただ思ったことを書いただけなので喧嘩した覚えもないし、
 不愉快に思ったこともありません。

 それに、ここに書き込まれた方が「鬱」かどうかは関係ないですし、
 ご主人様が「真面目」な自己愛であることも関係ないと思います。



 ご主人さまが自己愛の9つにあてはまっているから自己愛性人格障害ということなのでしょうか?

 それは世間的に言う「自己中」の範囲であって人格障害ではないかもしれません。

 人格障害の人は、
 見ているとあきらかに「他に比べて違和感を感じる」部分が見えてきます。

 本物の人格障害と深く関わると精神がぼろぼろに壊れます。
 特に身内であった場合、愚痴程度ではすまないこともしばしばです。
 彼らのもつ「こき下ろし」の力は単なる悪口どころの騒ぎではありません。

 自己愛の鑑定はかなり微妙で、
 ACもAD/HDもアスペルガーも「自己愛」に見えるパターンがあり、
 人格障害にふりまわされた後からの回復過程でも擬似的にそうなることがあります。

 人格障害自体、真面目な人で優秀な成績だった人にも多くあります。

 人格障害専門の医師のサイトや準じたサイトでもなかなか見分けは困難ですので、
 問題は「相手が自己愛かどうか」ではなく、
 それに「ふりまわされない自分」かどうかだと思っています。

 自己愛の人と関わってしまって愚痴をためこんでしまった自分を、
 どうしたら「楽しい気分にさせられるか?」
 相手が自己愛だろうと相手は相手、
 不満に思わなくていい自分になった方がトクだと思うのです。

 離婚できないなどの自分では変えられない状況の中で愚痴という不満をためこむなら、
 あまり愚痴を言わずにすむ受け止め方が出来たら、
 今よりも幸せな気持ちが増えると、私は思っています。

 旅行がお好きでないのなら、
 行きたいと思っているところに行かれなくても大したことではないのでは?
 そしたら行きたい所には連れて行ってくれないと嘆かなくてもいいような気もします。
 「どこだって、まっいいか~。」とね。



 私自身、人格障害と関わって自我がぼろぼろになったため、
 その怖さも身をもって実感しましたし、
 考え方のクセについてもずっと考察してきました。

 今は「考え方のクセ」の特徴から、なんとなく気質の見分けがつくこともあります。

 ほた子さんの物の言い方というか捕らえ方に、少し自己愛的な考えのクセがあるように感じました。
 相手の悪い部分に「愚痴」ということで着目してしまったら、
 擬似的にご自分にも似た傾向が現れてしまう可能性もあります。

 嫌っている部分だとしても、一緒にいると似てくるものですから、
 今「愚痴」が出る部分は、ご自身の中にもある部分なのかもしれません。

 人は自分の中にないものには反応できないのです。
 


 自分の意見をひっこめたら全てが丸くおさまる、というのは良い対処法ではありません。
 その場は丸く収まるように見えますが、
 それだといつまでも「自分」が持たないと思います。
 自分の「相手への不満」が自分を壊すきっかけとなります。
 相手が人格障害ならなおさら。

 自分もそれでぼろぼろになりました。

 医師やカウンセラーの対処法としても、
 「お互いのためによくない」方法といわれます。

 自分の意見を押し殺して人格障害と向き合うことは、
 後々自分を壊すことになります。

 自分では気づかないのですが、じんわりじんわりと崩壊して、
 鬱状態で起き上がれなくなってから気づくこともあります。

 自分を押し殺して我慢すれば丸くおさまる(収めたい)という考え方自体、
 考え方のゆがみの元になりやすいからです。

 私は人格障害と関わったことで、
 どうしたら人格障害にならずにすむか、
 どうしたら壊れた自我を修復できるか、
 それだけをずっと考察するためにこのブログを書いています。

 哲学・心理学・自己啓発・メンタルヘルスの面から調べてきましたが、
 結論は常に同じ場所に行き着きます。



 変えられない状況に対して愚痴をいうなら、その分の時間、もっとたくさんの小さな幸せに気づくことを考えて、
 今よりもっと幸せになれる考え方になれたら素敵なことだと思います^ ^

私は自分が自己愛だということはわかっています。

あなたは人とうまくやっていけませんね。自分の意見を押し付ける傾向があります。

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